徳川家康の旅の目安、一里塚へ!
平成の一里塚の特徴
一里塚は徳川家康が命じた歴史的な史跡です。
慶長9年(1604年)に設置された重要な目安です。
東海道や北陸道沿いにあたる特別な場所です。
スポンサードリンク
名前 |
平成の一里塚 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
スポンサードリンク
周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
一里塚は、慶長9年(1604年)、徳川家康が息子の秀忠に命じ、旅人たちの目安となるよう東海道や東山通、北陸道の沿道に一里(約4km)ごとに設けられました。塚は、沿道の両脇に築き、大きさは5間(約9m)四方と決められていました。市指定重要文化財である一里塚は、起点である江戸の日本橋から14番目のものです。現存する一里塚の向い側にあたるこの浜辺に、塚があったといわれています。しかし、昭和に入って、道路の拡張に伴い取り除かれてしまいました。参勤交代の大名行列もとおり、多くの旅人たちが行きかった東海道。記録によると、塚の右側からは焼島(烏帽子岩)が見えたと伝えられています。また、エノキが植栽されていたことが、延事2年(1745年)の東海道巡覧記や幕府の道中奉行が江戸後期に作成した『東海道宿村大概帳』などに記されています。この場所は、歩道整備工事の一環として平成22年、ポケットパークとして整備され、江戸時代の一里塚と同様にエノキが植栽されています。一里塚は、市内でも数少なくなってしまった近世茅ヶ崎の東海道の面影と、当時の素朴なぬくもりを伝えてくれる貴重な文化財です。南側の史跡「一里塚」とともに「平成の一里塚」として、末永く市民に愛される場となることを願っています。