歴史感じる道標、奥州街道分岐点。
奥州街道道標の特徴
江戸時代整備の道標が位置する歴史的スポットです。
郡山市の伝統文化遺産No5として親しまれています。
昔の街道の分岐点をしっかり残している立派な石碑です。
この場所には、現在、二基の道標があります。左は「会津街道・奥州街道」、右は「三春道」 このふたつの道標は時代も場所も異なるので注意が必要です。「上の解説板」の記載は、曖昧かつまた不正確。「下の解説板」は……そもそも読めない! しかも、指先で弾いたら安っぽいブリキ缶の音がした!! たぶんアルミかステンの薄板を石碑風に造形したものと思われます。「左会津街道・右奥州街道」・大正時代 ・もともとこの場所江戸時代、郡山から直接会津に向かう街道はありませんでした。明治に入り県令三島通庸によって、ここ大町を起点に、富田・喜久田・安子ケ島を経て、五百川沿いの会津・二本松街道に接続する新道が開削されたのです。道標は大正時代のもの。なおこの道は、現在「安積街道」と呼ばれています。「従是(コレヨリ)三春道」・江戸時代 ・逢瀬川の手前の場所この道標は、正真正銘、江戸時代のものです。明治の初めまで郡山から三春への街道は、逢瀬川の南岸を通り、阿久津の渡しで阿武隈川を渡河、阿久津・舞木・山田を経て、三春に至りました。この道標は、本来現在地より350mほど北、逢瀬川の手前100mの辺りに立っていたものです。蛇足です。明治に入り先述の県令三島通庸により、逢瀬川北側の久保田村を起点に逢隈橋を渡り三春に至る「三春新道(現在の通称ニッパッパー)」が開削されました。このため江戸時代からの「三春道」は廃れてしまいました。
江戸時代に整備がなされた奥州街道(松前道)と会津街道の分岐点にある道標。笹川宿からは離れており、繁華街の外れにあるため、付近の街並みに歴史を感じる建物はないが、道標により街道を歩いた人たちが思い浮かぶ。
郡山市の伝統文化遺産No5です。三春への道と会津への道の分岐点みたいです。多くの旅人がここで分かれ、それぞれの目的地に向かって歩いて行ったんでしょうね。
立派な道標です。
郡山市の中心部は太平洋戦争の空襲で古い街並みが破壊されたようで、この道標が昔の街道筋の名残となっています。
ぽつんと立っていた。
昔の街道の分岐点がいまだにしっかり残っていることに感動。
奥州街道と会津街道、三春道の分岐点。
説明板には、大町道標とあります。奥州街道と会津街道の追分です。
| 名前 |
奥州街道道標 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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現在、現地には2基の石造道標が並んで立っています。右側の道標(文政8年 / 1825年建立)「従是三春道」(これよりみはるみち)もともとは少し北側にあった三春道の起点(分岐点)に立てられていたものが、のちに移設されました。左側の道標(大正3年 / 1914年建立)「右 奥州街道」「左 會津街道」明治19年に新設された明治の会津街道(新道)との分岐点を示しています。ここから「右」に進むと、かつての奥州街道のルートに沿って逢瀬川方面へと向かいます。