初寅祭りで心温まる体験を。
高松山観音寺(本宮市)の特徴
青年裸御神輿が復活し、地域の皆さんが参加するお寺でした。
御朱印カフェで若奥様が特別な言葉を書く感動体験がありました。
阿武隈山系の絶景が広がり、清々しい気持ちにさせてくれる場所です。
先代御住職の頃に御本尊と安達三十三観音の参拝で直書きにて御朱印を戴きました。その日は大変御丁寧な応対でした。代替わりした現在は、御朱印等もだいぶ様変わりしてしまいましたようで…
特別御朱印頂きました。奥様手書きのかわいい御朱印です。待ちましたがそれはそれで。◕‿◕。また、かわいい御朱印頂きたいです。本堂もボーッと眺めていたくなりました。ありがとうございます。
期間限定、特別御朱印をいただきました。
秘仏開帳あり、久しぶりに同寺訪ねたが、寺の裏山に登り、阿武隈山系が見られ清々しさが湧いています。
本堂の壁に下記のことが書かれていました。高松山縁起大同2年(807年) 徳一大師は神秘の霊場として当山を開基し、山中より霊木を見つけて自ら薬師如来・十二神将及び釈迦・地蔵の諸仏を刻み、仏法興隆を祈願した名 ある。山上には月山・羽山羽黒の三大権現を祀り、附近には古松が多く茸えていたところから高松山と名付けられ た。 前九年の役には、源義家公の戦勝祈願があったと伝え られる。 治永年間には(1177年~1180年) 文覚上人が奥羽地方を修業巡回中、当山に永く滞在し、背負いの本尊不動明王を当寺に祀り、興隆につとめたため中興の祖と 仰がれた。学頭をはじめ十二の坊舎及び山王社・白山社・釈迦堂・三重塔などの堂舎が全山に点在し、数百の僧侶が修業に励んだと伝えられている。山中には九十九谷を有し奥の高野山とも呼ばれたが、天正年間伊達政宗攻略の際兵火にあい全山が焼失した。梵鐘も阿武隈川の深淵に沈められ、その淵は鐘が淵と名付けられた。この梵鐘の霊が高松山を慕うあまり、とき折り龍頭が山上に登り、暗夜も白昼の如く明るく光り輝くことがあったため、常光明山と称されるようになった。その後定覚和尚によって再建されたため、後の中興の祖と仰がれている。会津領であった時代には加藤嘉明候が寺領を寄進され、徳川時代には二本松藩主丹羽候の祈願寺となった。明治維新後、神仏分離令が出されたため、高松山大日大権現を山上奥の院より当寺に移し、本堂に秘仏として奥深く 安置されてある。その霊験は遠近を問わず多くの人びとに信仰され、参拝者が絶えない。 合掌平成24年5月8日掲 常光明山高松院観音寺 寄贈 高松山人問塾。
桜が咲いてる時は最高です。
帰りの途中で寄りました。
これから毎月伺います。出会いもあり、充実した修行が出来そうです。
墓参りして来ました。
名前 |
高松山観音寺(本宮市) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0243-44-3822 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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今年の初寅祭りは2月1日(水)18:00~21:00青年裸御神輿が3年ぶりに復活😮お寺の催しにも、檀家の方をはじめ地域の方も多数参加されてて、地域に根差したお寺だと感じられ心暖まります。休日に子供たちがお寺の庭やお地蔵さんの周りを走り回って遊ぶ姿に子供たちにも居心地の良いお寺だと分かります。✨寺嫁さんの描く御朱印も人気です。