弟橘媛が海を鎮めた。
日本武尊と弟橘媛の像の特徴
日本武尊と弟橘媛の像は歴史を感じさせる彫刻です。
海神を鎮める弟橘媛の伝説が息づく場所です。
木更津市の緑に囲まれた静かな環境で安らげます。
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良いと思います!
名前 |
日本武尊と弟橘媛の像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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景行天皇40(110)年、日本武尊は父でもある第12代・景行天皇より東国征討を命じられ、相模国(現神奈川県)の浦賀水道(走水の海)から上総国(現千葉県)への航行中に海が大荒れとなりましたが、妃の弟橘媛が海中に入り、海神を鎮める事で無事に上総国に辿り着くことができました。日本武尊は、亡くなった弟橘媛を偲び、何日もその場を立ち去る事ができず、漂着した弟橘媛の袖を目の前に詠んだ歌が『君去らず 袖しが浦に 立つ波の その面影を みるぞ悲しき』とされ、木更津(君去らず)と袖ケ浦(袖しが浦)の地名の由来とされます。また、富津は古来より「布留津」と記し、弟橘媛の袖(布)が現袖ケ浦に漂着して、日本武尊が当地(津)に(留)まった事に由来するとされ、袖の左右もう片方は習志野市に漂着、習志野市袖ヶ浦の地名の由来とされます。このように、千葉県房総半島には日本武尊の東征にまつわる伝説・場所・事柄が『日本武尊の東征伝説』として多く伝えられています。高架下の空きスペースに駐車し、階段を上ってのアプローチとなります。