"整備された境内、心安らぐお寺"
本興寺の特徴
御朱印や御首題の厳格な区別を行う、お寺の神聖な雰囲気です。
整備された綺麗なお庭や砂庭が印象的で、参拝客を魅了します。
住職やボランティアの方が丁寧に掃除を行い、清潔感が保たれています。
上人不在時は御首題、御朱印はいただけません。電話で問い合わせてからお出かけください。
御朱印が欲しく訪問しました お参りの人が数人いました 場内は整備されすごく綺麗でした 御朱印が欲しく訪ねたら丁寧に対応してくれました 皆親切な方でした。
お詣りして御首題を頂きましたが、境内は凄く綺麗で身が引き締まる思いでした。他の方の書き込みで「凄く厳格だ」との書き込みがあったので、少し緊張して呼び鈴を押しました。出て来られたご家族と上人様には丁寧に対応していただき然程厳格には感じませんでした。上人様から「菩提寺は?」と聞かれたので「本家の菩提寺はあるが、自分の菩提寺はまだ決まっていない」と答えました。何故このような事を聞くのかな?と考えていたら「修行等で全国の他のお寺さんの住職と会った時の話の種にしたい」との事で言われてみて「成る程納得!」となりました。他の方の書き込みでもありましたが【南無妙法蓮華経】の御首題が欲しい場合は御首題帳(御首題専用にしている御朱印帳)を持って行く事をおすすめします。他の宗派の御朱印が混ざった御朱印帳を持って行くと【妙法】の簡略版(個人的には妙法の御首題も味があって好きです)になるかと思われます。「本山カードを集めているので頂けないか?」と聞いたところ「申し訳無いが切らしてしまった」との事でした。庫裏から退出する前に「良ければどうぞ」と本興寺の焼き印が入った瓦煎餅を頂いたので、後で食べたら美味しかったです♪
20220507おとな路の旅、本山めぐりで訪れた。山門をくぐってまず驚いた。石の上を歩いてください?あたり見ると、砂の部分が掃き清められている。きれいなんてものではない。砂も新しく被っている。よっぽど几帳面な貫主さんなんだろうと恐れおののいた。さて、本堂を参拝。いつもどおりお題目を三度唱え、庫裏に。御首題をお願いしたら、まず、菩提寺を聞かれた。まぁ、信仰の証なのでそういうこともあるかなとは思ったが、家は単立だが、日蓮宗の荒行も受けている住職だと答えたら、遠寿院の荒行かと言われた。ちゃんと法華経寺の荒行だと答えたら、誰かと聞かれ、答えたら、知っている○○さんのところかと言われた。いやあ厳しい。汁師会でもきちんとしたお寺として有名らしい。本山カードをお願いしたら、千円の寄付をお願いしているとのこと。災害のあったお寺に送るらしい。宮崎だったかな?佐渡の本山は別のところで集めるらしい。ともかくも厳格な日蓮宗のお寺である。
本山なので御首題と御朱印の区別を厳格に行って居ります。御首題は御首題帳にのみ記帳。他宗派混合の御朱印帳には【妙法】の簡略版で記帳。寺務所玄関内で応対。
法華山 本興寺日蓮宗六老僧の一人天目上人に開かれ、二代日什上人により御寺は繁栄した。日什上人は陸奥国大名の芦名家出身の母と、鎌倉郡域における日蓮宗布教に多大な寄与をした石渡(石堂)家の父の間に生まれた人物。室町時代に鎌倉公坊の足利氏満公とも関わりが有るからか寺紋は足利家の二つ両引き紋が使用が許されている。
トイレは屋外にあり墓地は、坂ノ上の道路側から入ると近い。
お庭が綺麗、住職の奥様が優しく対応してくれました。
住職とボランティアの方が竹箒で綺麗にお掃除してくれてました。
| 名前 |
本興寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
045-802-3151 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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[縁起より]本興寺は日蓮大聖人の直弟子である天目上人が鎌倉に開創した寺院。大聖人が辻説法の途中、休息された地として『休息山本興寺』と称していました。天目上人は、法華経二十八品のうち、前半十四品の迹門と後半十四品の本門では説相が異なると「迹門不読説」を主張しており、天目上人の弟子達も同じ主張をしておりましたが、日什門流の開祖である日什師の教化にふれ改派に至りました。その後、弘和2年(1382年)に『法華山 本興寺』と改称しました。また現在本興寺のある飯田は、弘安5年(1282年)に日蓮大聖人が池上でご入滅後、ご遺骨を身延に奉じる途次、10月20日頃にご一泊された地と伝えられています。当山第二十七世である常楽院 日経上人は、慶長13年(1608年)に浄土宗の僧である廓山と江戸城中に於いて法論する事になりますが、法論の前夜に品川の本光寺に泊まっていたところを念仏の暴徒に襲われ、口を開ける事も、立つ事もできない体にされてしまい、法論の場で一言も発することのないまま敗北と判定されてしまいます。翌14年(1609年)2月20日、日経上人は弟子とともに京都六条河原で「耳鼻そぎ」の極刑に処されました。日経上人の極刑以降、日蓮宗の不受不施派や、日経上人の流れを汲む者への迫害が厳しくなったこともあり、万治3年(1660年)に鎌倉から現在の地(泉区上飯田町)に寺院の一切を移されたとされています。その後、中興の祖であられる日祥上人を含む歴代の諸上人は、寺門の興隆に専念され、広大な堂宇を営まれましたが、しばしば災害を被ったため、万延2年(1861年)に本堂再建に踏み切り、明治2年(1869年)に落成しました。今回初めて伺う本山寺院でしたが、車でないと来訪できない場所にあり、本山寺院と言ってもわりと地味な印象の寺院でした。正月1日の朝参りでしたが特に地元の参拝者で溢れることもなく、御首題も快く書いてくださりました。周辺が普通のニュータウンのような街並みも地味な印象を与えてしまうのかもしれません。立派な山門もあり厳格で丁寧な印象のお寺です。