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名前 |
日野川桜づつみ公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
碑文からの文字おこしです。深田惣左衛門宗眞の顕彰碑文深田氏は 近江源氏佐々木源三秀美七代の孫 佐々木三郎兵衛尉信輝が此の地伯耆国会見郡浜 中の里に来りて開拓して良田としたので姓を深田に改めてこの地に住んだのが初代である 二代満信は弘安十年(三八七)鎌倉将軍久明君に仕え三代満篤は徳治二年(三の七)以後將軍守邦公 四代治信は元治二年(1332ー二月後醍醐 皇隠岐国に遷幸の途次御車を深田邸に止められたと伝えられている十八代三郎右衛門宗真(後に惣左衛門に改む)は寛文三年(一六六二)より同十二年(一六七ニ)に至る 十一年間大庄屋を拝命中に日野川の洪水による損害を憂い治水の急なるを藩に請願すること数次に及びその情熱を認められ延宝四年(一六七六)七月には民間より登用の特例を以て普奉行に抜擢され元禄元年(1688)六月に至る十三年間就任 その間に戸上村(観音寺)より海池村(皆生)に至る日野川岸の築堤完成した このため米子城下をはじめ浜の目一帯を水禍より救ったので里人はこれを深田土手と呼んで 功績を称えた宗真は元禄十七年(1704)に没す ここに惣左衛門宗眞の遺跡を偲び碑文となしその功績を後世に伝えるものである平成十年十月 以下略2024/9/1 数日前の台風で、大木が倒れておりました。