大岡越前の菩提寺で心和む。
淨見寺の特徴
大岡越前守の菩提寺として知られる歴史あるお寺です。
手入れの行き届いた庭園が魅力的で訪れる人を惹きつけます。
入口が分かりにくい場所に位置する静かなスポットです。
2024.3【宗派】浄土宗道路の名前にもなっている大岡越前守こと大岡忠相。その大岡家歴代の菩提寺。慶長16年(1611)大岡家2代目当主大岡忠政が父の供養のためにこの寺を建立した。大岡家の場所には初代から13代まで大岡家一族累代の墓碑58基が並んであります。大岡家墓所は寺務所への申請が必要で、喜捨のお願いが掲示されています。墓所へ上がる階段の前に大岡忠相の戒名が書かれた位牌があります。本堂前にある賽銭箱(袋)にコインを入れるとチ~ンというリンの音がするのが面白いです。法然上人の若い頃の像や、梵鐘、地蔵などもあります。お庭や植栽も綺麗に手入れされています。
手入れの行き届いた綺麗な、そして歴史あるお寺さんです。
御朱印、お参り。駐車場あり。浄土宗の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来です。大岡家の二代当主忠政が、父忠勝の追善のために1611年に建立しました。忠政の法名『大綱院殿忠誉窓月浄見大居士』から四文字をとって、山号窓月山・寺号浄見寺と名付けたとされています。浄見寺は大岡家代々の菩提寺で、1615年にこの寺に改葬された初代忠勝の墓石をはじめとして、13代まで一族累代の墓碑58基が整然と並んでいます。因みに、四代目当主の大岡忠相(ただすけ)が時代劇の大岡越前です。本堂の左脇から裏に繋がっており、奥の小高い丘を利用した見事な庭が現れます。更に丘の上に続く階段があり、その先には旧三橋家住宅が歴史資料として残されています。寺の向かいにも旧和田家住宅が歴史資料館を兼ねて建っているので、お参りと併せて見学もオススメです。
R4/11/10 大岡越前の菩提寺!徳川旗本の大岡家は家康江戸入府時に三河から共に移転し1900石大身旗本としてこの地域も領しました。三代が初代二代の菩提を弔うためにこの寺を創建し以来歴代の当主と家族の大きな墓所となっていて、徳川家が浄土宗帰依なのでこちらも主君同様浄土宗の寺院で初代の戒名から寺名が付けられました。TVで有名な忠相公は五代でこの時に西大平藩一万石の大名格となり以降当主は越前守で、大岡家は参勤交代の無い定府大名であって忠相に至っては陣屋のある西大平へ一度も行かなかったそうです。お寺としては普通の地域にある規模で、大岡家墓所は寺務所で200円お支払すると入口の門の鍵を開けてくれ見学参拝でき、お寺の瓦せんべいをもらえました。
〝大岡越前通り〟から少し奥に入った所にあるお寺。偶然、夜に車で近くを通ったら、辺りは真っ暗でちょっと怖い。今度は昼の明るい時間に行こうと思います。時代劇好きな方、是非。
大岡越前ファンなら一度は行くべし✌️
庭園の手入れが素晴らしく、大岡家の菩提寺としてふさわしい質素ながら、良い雰囲気のあるお寺です。
ゆっくりと拝察したのは、初めてでした。天然記念物を含む寺林があり、非常に静寂で、大岡一族の菩提寺としての風格なのか、他のお寺にない歴史と高尚な趣きも感じられます。
大岡越前守の菩提寺として有名です。寺院の中の桜の大木が今満開になっています。
名前 |
淨見寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-51-0054 |
住所 |
|
HP |
http://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/kankou_list/event/1006905/1006921.html |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

大岡越前様の墓所で有名ですが、私が推したいのは手塚治虫以外で藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎が唯一頭が上がらない人物。トキワ荘の兄貴分寺田ヒロオ氏のお墓がある所です。特に赤塚不二夫は漫画を諦めて田舎に帰ろうとした所を寺田ヒロオ氏に説得され、半年分の生活費を無利子で貸すからこのお金が尽きるまで挑戦したらいいじゃないかと説得されて、花開いたのでこの人がいなかったら赤塚不二夫はいなかったといっても過言ではありません。人生の綾でタモリも世に出なかったと思います。