豊臣秀吉の夢跡地、石垣山一夜城。
石垣山城跡の特徴
豊臣秀吉が築いた石垣山一夜城の歴史的価値が感じられるスポットです。
小田原を一望できる笠懸山の上に位置する絶景が魅力的です。
短期間で築かれた本格的な石垣の構えに圧倒されます。
小田原攻めの本拠地として秀吉が築いた石垣の城の跡。石垣は崩れてるところが多いが、残っているところは穴太衆が積んだ野面積みが見られる。井戸櫓の石垣は一見の価値あり!
一夜城に公共機関で向かうには土日祝日限定で小田原駅東口から運行する観光回遊バス「うめまる号」が便利だ。一夜城歴史公園で下車すればすぐに廻れる。バスは都度支払いでも大丈夫だが、600円でパス(当日バス停販売もある)を買えば市内の観光名所での乗降が自由なので有難い。車中にはボランティアのガイドさんもいる。また、土日祝日の荒天時以外はバス停でボランティアの方の無料案内も申し込める。縄張は単純だが、崩れているものの野面積みの石垣は見事だ。ただただ圧倒される。小田原攻めにかける豊臣秀吉のパワーを実感できる。井戸曲輪はとにかく堅固に作られていて、これだけは観てほしい。太田市の金山城を彷彿とさせる。出丸との間の堀切以外に堀が見当たらない。絶対にここまで攻められないと言う自信を感じた。眺めもよく、桜もあるとのこと。4月のシャガの群落も申し分ない。有名パティシエのお店とともにぜひ存分に見学してもらいたい。
予め木々で隠れている場所にお城を作っておいて、完成したら木を切り倒すことで一夜にしてお城が出来たと思わせ、心胆からしめたという逸話のあるお城です。総石垣づくりの初のお城でもあるのだとか。石垣山というだけあって石垣がなかなかの迫力で残っています。小田原城への威嚇として作ったということで二の丸の先からは小田原城が見下ろせます。駅から歩くとなかなか登りが多くて疲れますが、駐車場からならそれほど疲れることはないかと思います。ルートによっては大きな石がゴロゴロしている道を通ることになりますが整備された道がありますので安心です。駐車場の横には鎧塚ファームもあり、ファーム内を見たりケーキとお茶をしたりも出来ますので興味のない人と来ても割と安心です。
ヨロイヅカ一夜城の隣にある。石垣の跡があり、そこから散策が可能。しばらく歩いて上に登っていくと広い芝生の広場がある。広場では人がくつろいだり犬の散歩をしていた。特に何があると言うわけで場内が歴史が好きな人や自然の中でウォーキングを楽しむことができる。城の後なので看板を見て歴史を勉強することもできる。豊臣秀吉が建てた城らしい。全てを回るのにはそれなりに時間がかかる。
有名な歴史上の武将も関係する城跡にひたすら驚きでした。本丸、二の丸、三の丸まで有ったようで大きなお城だったみたいです。昔の方々は、こんな道を歩いたのか、とか凄く思うことがあり、勉強になりました。登り口には、竹の杖が用意されておりこの杖を借りて、登りました。楽でした。見晴台からは海や小田原市内が一望出来て絶景です。桜の時期で満開のサクラを観ることも出来ました。その割には余り知られてないせいか?駐車場も待つこと無く、見物客もそこまで多くなくのんびりしてます。ちょっとした山登りなので、ヒールや革靴等は不向きかと思います。
天正一八年(1590年)、小田原北条氏を攻めた豊臣秀吉が本拠として小田原を一望できる笠懸山に築いた城です。一夜城とも呼ばれていますが、実際は三ヶ月はほどかかって築城したようです。石垣山城の名称は後世に雄大な石垣が残っていたため付けられた名称で、当時の名称は伝わっておらず、笠懸山城あるいは小田原付城とでも呼ばれていたのでしょうか。廃城年はつたわっていませんが、小田原城開城後に徳川家康が関東に転封された後も暫くは豊臣家の城として機能したようです。城内は関東大震災によって崩れた(おそらく江戸期に豊臣に反感を持つ徳川譜代の小田原大久保氏が一部を崩していたと思われる)石垣を見てまわりながら城内を散策し、周囲の樹木の成長のため前回の訪城より見晴らしは利かなくなっていましたが、小田原城天守閣や相模湾の眺望を楽しむことができました。
続日本100名城No.126です。秀吉が小田原攻めに際して、わずか80日で築かせた歴史的舞台です。完成後、周りの木を切らせて突如出現したように見えたため一夜城として知られています。井戸曲輪他の石垣に見どころが多いです。100名城スタンプは、駐車場トイレ脇で押しました。
天正18年(1590年)、箱根西麓に在った小田原北条氏の防衛の拠点『山中城』を半日で攻略した豊臣秀吉は、一路小田原へ軍を進め、湯本の早雲寺に本陣を構えました。本格的な攻城戦が始まると、指揮を執るには小田原城から遠く戦の状況を的確に見ることが出来ない事から、小田原城を一望の下に見渡す事が出来る石垣山(当時は、笠懸山と呼ばれていました。)へ、新たな本陣を造る事にしました。6月27日までの約2ケ月半の間に、城郭の主要部分を完成させ、小田原城側の樹木を一斉に伐採しました。これを見た北条方は【一夜の内に城が出来た!】と驚きました。この事から【太閤の一夜城】と呼ばれるようになりました。《嘘か本当か?》一説では、突貫工事で造った城は、小田原城側から見える部分に白紙を貼り付けた【ハリボテ】だったと・・・・・派手好きで目立ちたがり屋と云われている豊臣秀吉らしと・・・
2回目の訪問。駐車場が綺麗になりましたね🎵400年以上も前に、よくこれだけの巨石を機械も無いのに、山に揚げたもんだね。当時の関係者方々に敬意を評します。関東の連れションは此処ですよね‼️
名前 |
石垣山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/park/ishigaki-p.html |
評価 |
4.3 |
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石垣山一夜城は、小田原の北西にある標高260mくらいの石垣山の上に築かれたもので、戦国時代の最後に豊臣秀吉が天下統一を果たすために重要な本営となる城でした。織田信長の死後に主導権を握った豊臣秀吉は、四国と九州を平定し、天下統一のために関東一円を支配していた北条氏を倒す必要があり、城壁に囲まれた難攻不落の小田原城を攻め落とすために、小田原城を見下ろせる場所に突貫工事で築城したものです。小田原城を見下ろす高台に、突如秀吉が築いた石垣山城が現れ、その強大な勢力に北条勢は戦意を失い降伏につながったという伝承があります。突如山の上に城が現れたように見えたのか、一夜にしてできた城という意味合いで一夜城と呼ばれています。さすがに城を一夜で完成させるのは現実的ではなく、北条氏が見た城は堀に白い紙を貼って城に見せかけたものだったと言われています。森の中で作業を行い、最後に周囲の木を伐採することで突然城ができたように装ったとのことです。工事日数は80日を要したそうです。とは言え不思議に思うのが、石垣山一夜城からは小田原城が見えるので、小田原城からも山の上で何か異変が起きていることは察知できたのではないかと思います。秀吉軍が20万の兵力に対して北条軍が5万の兵力だったから、結果的に降伏したのではないのかなと想像します。城へのアクセスは、土日祝日に運行している「小田原宿観光回遊バス うめまる号」が便利だと思います。ただし、最終便が16時8分なので、乗り遅れたらタクシーを呼ぶか歩いて下山になります。自分は乗り遅れてしまったので、歩いて最寄りの早川駅に下山しました。最寄りとは言っても、徒歩で30分くらいかかりました。お城は、地震で損傷を受けたとはいえ、石垣がかなり残っていました。二ノ丸の広場は広々としていて、小田原市街方面の眺望は海とともになかなか素晴らしいです。