湘南平の麓、歴史感じる神社。
高来神社の特徴
高麗山の麓に位置し、湘南平への登山口としても知られています。
徳川家康に関連する東照宮が併設されている格式ある神社です。
敷地の奥には湧水があり、静寂な環境の中で心を癒せる場所です。
元は養老元年(717)に行基が創建したと伝わる高麗寺(以前は神仏混淆)があった地。高麗寺は壮大な敷地と建物を備え、中世には戦の際の陣地としても利用された(北条早雲や上杉謙信など)。江戸時代には東照大権現(神としての徳川家康)が勧請され、各大名が東海道を参勤交代で通る際は、下馬の上で当寺に向かって頭を下げた上で進んだらしい。高麗寺は廃仏毀釈により廃寺となったが、神社として残ったのが現在の高来神社である。本殿(高麗寺の観音堂を転用)や神輿殿(高麗寺時代のもの)などがあり、山頂には嘗てあった高麗権現社の平地が残る。なお、山頂に向かうには男坂と女坂があるが、男坂は非常に急峻である。また、山頂手前には高麗寺時代の長い階段もある。片道20分はかかる。
大磯駅から歩いて30分くらいで辿り着けます。神社の裏手に高麗山への登山口があります。
御朱印が頂ける神社。直書きして頂ける。Googleマップの電話番号に連絡すると対応して頂けた。境内はとても綺麗。高麗山を背後に鎮座する。境内奥には高麗山の登山口あり。Googleマップでは境内外れの箇所へナビされたので注意⚠。交差点「高来神社入口」が第一の鳥居となっている。そのまま誘導の看板通りで🆗。境内まで車の乗り入れができるスペースがある。
高麗山の麓にある神社、その隣に慶覚院があります。以下、別サイトから転載。江戸時代の御祭神は「高麗大権現」「村名は同寺名にちなみ」「高麗の名は、古く当地辺りに高麗人が住したところにちなむ」『新編相模風土記』より。江戸時代、高麗寺には、徳川家康を御祭神とする東照宮が祀られていた為、参勤交代の際、諸大名は下馬して参詣せねばならなかったと云われる。しかし、明治の世になり、これが災いしたようです。この高麗寺は徳川幕府の滅亡ととも廃寺となり、今は末寺の慶覚院のみとなっています。
2024.7高来神社(たかくじんじゃ)高麗神社(こまじんじゃ)とも呼ばれる。旧社格は郷社。高麗山の麓にあり、ハイカーの方も多く訪れます。【御祭神】神皇産霊尊(かんみむすびのみこと)天津彦穂迩迩伎尊(あまつひこほのににぎのみこと)応神天皇、神功皇后【由緒】起源は明らかでないが、神武天皇の時代の創建と伝えられる。かつては高麗山の山頂に上宮があって高麗権現社といい、右の峰に白山権現を、左の峰に毘沙門天を勧請して「高麗三社権現」と称した。高句麗が新羅・唐連合軍に滅ばされた時に、その王族・若光を中心に高麗人が相模国大磯に渡来し、その後若光一族を含めた各地の高麗人は武蔵国高麗郡(こまぐん)に集められ、高麗神社も設立したという。高来神社の例大祭「御船祭」の木遣歌「権現丸」に、「高麗国守護」が渡来して、「大磯浦の守護」となったとある。また古来武門の信仰が篤く、鎌倉期に将軍源頼朝が正室北条政子の安産祈願をして、戦国時代には後北条氏がわずかな領地を寄進したという文献があるという。明治元年(1868年)、神仏分離令により高麗寺から分離され高麗神社となり、高麗寺は廃寺となる。明治30年(1897年)に、高来神社と改称。【参拝用駐車場】あり。
湘南の静かな神社湘南平の麓にある神社で高麗神社とも言われていて湘南平のサイキングコースの入り口にもなります。
高来神社は元は天台宗鶏足山雲上院高麗寺といい、高麗山山上にある高麗権現社の別当であった。明治の神仏分離にて高麗権現社を高麗寺の本堂へ移し、高麗神社と称したといいます。そう言われて見れば社殿は本堂の様に見えますし、参道もなだらかな坂道で、どこか寺院風ですね。
※ハイキングコースは滑落注意神社の裏手に湘南平まで続く登山口があり、男坂と女坂があります。男坂はやや急で岩場があり滑りやすく、普通のスニーカーで来た場合、注意したほうが良いです。女坂は水が滲み出していてぬかるんでます。帰り道は女坂が安全だと思います。
趣のある神社でした。裏手が高麗山なので、神社の境内にも大きな木がいくつもありました。
| 名前 |
高来神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0463-61-1146 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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降雪の翌日に浅間山、八俵山、犬堂、東天照を周回し訪れ、また男坂で湘南平に駐車した車に戻りました。高來神社は静寂に包まれ、初春を感じます。ただ道程の雪に多少、足を取られ岩場で難儀しました😊