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名前 |
海老名季貞の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
鎌倉時代の武士の墓のようです。石橋山の戦いにも参加していたようですね。墓の周りは雑草が生えてました。ハ菅山に対する信仰は厚かったようです。~愛川町教育委員会より~新編相模国風土記稿の八菅村のなかに「海老名源三季貞墓」とあるのが、この仏塔である。海老名源三季真(または源八季定)は鎌倉初期の武将で、現、海老名市河原口に住した豪族、海老名党の頭領であった。源頼朝の旗上げ(一八〇)のとき、季貞は平家の被官人として大庭景親の軍に加わり、石橋山の戦いで頼朝を攻めた。のち頼朝再起の時は源氏の家人となり忠誠をつくした。一族の八菅山に対する信仰は厚く、季貞 は頼朝の代官として、社殿、末社の再建大日堂の建立を行う等、保護活動に努めた。