戦国の歴史を感じる、玉縄の美しいお寺。
龍寳寺の特徴
玉縄城主北条綱成が建立した瑞光院が由来のお寺です。
鎌倉の静かな環境に位置し、長い参道が魅力の一つです。
美しい桜や樹木に囲まれた広い境内が特徴の寺院です。
玉縄城3代城主北条綱成が建てた瑞光院ともいわれる香華院がこのお寺のはじまりだそうです。宗派は曹洞宗のお寺です。当時は七堂伽藍といわれる寺院の主な建物が並び、広い寺領を持つ立派なお寺だったようですね。言われる通り境内はとても広く四季折々の花が楽しめそうな雰囲気でした。御朱印も住職がご不在で書き置きでしたが、御朱印帳に貼っていただくところまでご対応いただけました♪
玉縄城主の北条綱成が開基した寺院。氏勝の時代に現在地に移り、同時に改名している。建物の多くは焼失したが、それを免れた元禄年間造の山門は貴重である。本堂は大岡實の設計で再建している。2022年にペット霊園が完成。今も歴史を重ね続けている。
雰囲気、落ち着きますね。司馬遼太郎の小説で早雲のことを知っている程度でしたが、このゆかりのお寺さんはとても静かな佇まい。この日小雨がパラついていましたが雰囲気とマッチしてました。訪れてよかった。幼稚園が併設されているので、平日はキャッキャと賑やかなんだろうなと想像しました。
鎌倉には鎌倉五山に代表される臨済宗寺院と、日蓮縁の日蓮宗の寺院が点在する。時の権力者に支持を得た栄西とと、強烈な自己主張が嫌われた日蓮の対比が面白い。鎌倉の地に招かれたが、山深き越前を修行の地とした道元。鎌倉の北の地に曹洞宗の寺を見た。
オヤジ駄俳人。玉縄(たまなわ)城の三代目城主、北条綱成(ほうじょうつなしげ)が建てた香華院(こうげいん)がこの寺の始まりといわれている。玉縄北条の菩提寺として栄える。玉縄城は、北条早雲によって築かれる。話は違うが、北条早雲が荒廃している鎌倉、八幡宮の再興を誓い「枯るる樹に また花の木を植え添えて もとの都になしてこそみめ」と一首奉納し、後北条が鎌倉や八幡宮を再興させた。へぇ~、鎌倉って、今でもきらびやかだけど、ほっぽらかされて荒廃していた時代があったのね。鎌倉再興は早雲から。で、玉縄城。関東進出の足がかりだったり、武田信玄や上杉謙信が侵攻を諦めさすほどの難攻不落の城だったり、結構重要。親族(ダヨネ?)北条に治めさせとるからネ。だけど、血で血を洗う激戦とか、夜な夜な城に早雲の幽霊が「鎌倉再興しろ~」と言って出てくるとか何がしかのインパクトが無いと、人の噂や歴史小説に取り上げられないので、有名になってないな~。ここに来て初めて知った。ーーーーここで二句。のちの世に 寺だけ残る たまなわ城荒れすさむ 鎌倉に花 植えそえてーーーーダメだ。オヤジの血がうずく。はちまんぐう 再興最高 さあ行こう。
キナバナコスモスを撮りに伺いました。難攻不落で有名な玉縄城の城主である北条早雲によって築かれた曹洞宗の寺院です。鎌倉巡りの際、鎌倉駅や北鎌倉駅が拠点となり易いのですが、インバウンド影響を受け過ぎていない落ち着いた雰囲気の中、撮影を楽しめました。素敵な寺院です。
フラワーセンターの北にあるトンネルを抜けると右手は龍寶寺の境内で長い石垣に沿って行けば山門に着く。茅葺の山門がなかなかいい。寺は小田原北条氏の一門・玉縄北条氏の菩提寺として建立された。西側は玉縄城跡のある丘陵で、寺も当時の城域の一角を占めていただろう。境内は広大で緑の丘陵を背にして清々しい。鎌倉市街地の有名な観光寺院にも匹敵するような規模を持つが、さすがにここまで観光目的で来る人は少ない。境内に玉縄歴史館や重要文化財の石井家住宅(移築)がある。北条氏の供養塔もあるが近代のもので、戦国時代の墓塔は存在しないようだ。江戸時代は付近に所領を持っていた新井白石が寺領を寄進したという。境内には室鳩巣撰文の「朝散大夫新井源公碑銘」があるそうだが、うっかり見落としてしまった。「朝散大夫」は従五位下の唐での呼称、白石は従五位下筑後守だった。
歴史探訪北条氏由来の寺院です。かつて北条氏の玉縄城があった場所。資料館1階 玉縄城のかつての地形と北条氏の城楼跡2階 地域の農民の生活道具がある。農機具等駐車場アリ トイレ有 御朱印不明古民家かつてのご住職が別の場所にあった豪商の古民家をここに移築したらしい。ご住職GJ資料館を抜けて行くとある。土塀と藁葺き屋根がすばらしい。さらにうす暗い古民家に入ると、曲がりくねったルネサンス調?曲線を描く梁がすばらしい。コレが日本の美。職人の技GJ 当時の生活感を十二分に感じさせる古民家。囲炉裏やかまど、長年の踏みならされた板床が光る。日本人として懐かしく、そして心の底からジワる感動。古民家ファンなら一度は訪れるとよい。資料館、古民家入場料 200円。
2024.4【宗派】曹洞宗入口の茅葺屋根の山門が目を引きます。ずっと真っすぐ進んでいくと本堂があり、こちらも威風堂々とした姿をしています。玉縄歴史館と旧石井家住宅(重要文化財)は有料(200円)です。玉縄城3代城主北条綱成が建てた瑞光院ともいわれる香華院がこの寺のはじまりで、開山は泰絮宗栄と伝えられます。山号は陽谷山。1575(天正3)年に玉縄6代城主の北条氏勝が4代城主氏繁を弔うため現在の地に移し、「大応寺」を建立しました。創建以来、玉縄北条氏の菩提寺として栄え、綱成、氏繁、氏勝の位牌を伝えています。当時は七堂伽藍といわれる寺院の主な建物が並び、広い寺領を持つ立派な寺だったといわれています。氏勝は当時、小田原北条方のすぐれた武将で、1590(天正18年)、豊臣秀吉の小田原城攻めのとき、死を覚悟して玉縄城にたてこもり、豊臣方の軍勢と対抗しました。しかし、徳川家康の命令を受けた大応寺の僧の良達などが氏勝を説得して開城させたといわれています。良達は他の僧侶との意見の違いから一時寺を出ましたが、その論争が解決した後に再び入山し、のちに氏繁の戒名により寺名を「龍宝寺」と改めました。
名前 |
龍寳寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-46-2807 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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休日でしたが、静かでした。歴史のあるお寺です。芍薬が綺麗らしいのですが、訪れた時は数輪しか咲いていませんでした。1週間早ければ良かったかもしれません。訪問2025年5月18日。