山崎の静かな神社、学問の神様。
北野神社の特徴
古くて立派な神社で、学問の神様を祀る特別な場所です。
静かな小高い山のてっぺんに位置し、風情ある境内が魅力的です。
林の中の石段を上がると安心して祈れる手摺りが設置されています。
子供の頃から境内でよく遊んでいました。境内の奥に探検すると、石碑がいくつか転がっているので、調べてみると楽しいです。
200段程度の階段を登ると到着します。清々しい空気が流れていて気持ちが良かったです。とてもきれいに管理されている印象です。運動不足解消にも良いですね。また訪れたい神社です。
天神山城跡を目指す途中で寄り道上まで登ったのでそのまま城跡に行けるのではと本殿の後ろを回って目指したところ藪漕ぎのサバイバルに‥道なき藪を掻き分けどうにか下道におりました。
入り口が見つからず、山をほぼ一周してしまいました。時計回りに歩いていれば2〜3分で辿り着いたのに。北野神社の参拝者用駐車場から山を時計回りで7〜8分くらいですかね。
2025/5/30拝殿まではかなりの段数が有るが、傾斜はきつくは無い。質素で静かな本殿周囲にはいくつかの石碑/石塔が見える。左奥の方には2基の石祠が有る。境内社だろうが説明書きは無い。北野神社に関し事前に”新編相模風土記稿(風土記)”を参照した。風土記に山崎村は有るが”北野神社”は無い。北野神社は、もとは”宝積寺の鎮守”の説が有る。宝積寺の開山は夢窓疎石とも方外宏遠とも伝わる。南北朝期に創建して文亀元年(1501年)辺りまで存続していたようだ。宝積寺と北野天満宮共に暦応中に夢窓国師が創建というのも伝承だが、ここでもそれが見られる。円覚寺との関わりも強い。風土記に天神社の記述が有るのでその概略を記すと、*天神社 :字天神山に有り。暦応中、夢窓国師北野天神を模して勧請すと云う。*宝積寺磧:村西に有り。暦応中夢窓国師山城国宝寺に擬して創建した禅刹と云う。鹿山畧記には僧”方外”当寺を開建すとあり。夢窓を開山とするのは誤った伝承か。拝殿周りの石碑の文字からは、”夢窓”が主流のようだ。①[天神山碑] (板状自然石)ー境内右端「大舩車站西南十町~中略~明治四十四年四月~前圓覺寺管長 宮路宗海撰」ー1911年建立。②[菅公千年祭碑] (板状自然石)ー境内左「謹按山崎天神之縁起 昔暦應中夢窓國師奉x住吾山之 曰肇造菅廟於西南之山〃曰天神山且建寶積寺以(鎭)聖廟之香火宮~中略明治三十五年春三月二十五日大教正 特住圓覺寺沙門 洪嶽宗演 謹撰并書」ー1902年建立。宗演:”釈宗演”、円覚寺派管長職。③山崎天満宮再造碑 (平頂方柱・文字4面)ー境内左4面に文字がびっしり。超難解な銘は右面から始まり、正面→左面→背面と読む。ここに有る文言の一部が②の碑にも見える。要所のみ書き出すと、「山崎天満宮再造碑銘 寛政十一乙未歳九月祭日村末翁撰 梅澤九左衛門尋庸建形而位干上覆◯◯私之所謂天周徧ー(中略)ー既茲一千歳抑非天而何嗟盛哉 暦應中夢窓國師奉命住于圓覺之日肇造菅廟千西→(南)之山〃曰天神山邑曰洲嵜之邑後改名山嵜盡以擬山◯◯山嵜建一佛寺名寶積寺亦擬于寶寺以領聖廟之香火ーー」ー 1799年建立。寛政11年は「己未」、「乙未」は誤り、干支の間違いは非常に珍しい。旧名洲崎改め山崎村に、夢窓が寶寺を模した寺を建てたということか。
古いけど立派な神社です。記念日や供養塔らしきものもあります。とても静かな場所です。
湘南鎌倉医療大学 山崎交差点 宝篋印塔 古くからある神社 階段が勾配きついところには 手摺りがありますので 安心です。
入口を探すために天神山を一周してしまったw写真に入口の場所を示したものを入れたので参考になれば。最初の鳥居から朽ちたベンチまでの石段は摩耗が進んでおり帰りは中々に怖かった。社殿は立派ではあった。
Googleマップ通りにいくと民間に着きました。笑藤沢から大船までの道をずっと進みシルバーホームを(観音様とは逆方向)右に曲がる。そのまま進むと入り口に到着します。中は人の手が入っていなくてちょっとこわい時々動物の動く音や木々が揺れる音が聞こえるが人の音は聞こえない屋根には梅の紋があったので太宰府さん系かな?朝から昼に行くことをおすすめします。
| 名前 |
北野神社 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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神社に至る長い階段は木立で鬱蒼と覆われ、霊的な印象を強くする。雨の日の夕方などに行くと恐怖を感じそう。