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名前 |
庚申塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。一回(普通3年)の庚申講が無事終了した事を記念して建てられた供養塔です。この石塔の側面には文化14年4月吉日(1817年)と書いてあるので、今から200年以上前に作られたものです。庚申講とは、庚申の日に人間の体内にいるという三尸(さんしの)の虫(むし)という虫が寝ている間に天帝(てんてい)にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日(60日に1回まわってくる日)に夜通し眠らないで天帝や猿田彦(さるたひこ)や青面金剛(せいめんこんごう)を祀って宴会などをする風習です。石塔の構成① 日月夜を徹して行われた関係で描かれているもの。②青面金剛像三尸を押さえる神。※三尸(さんし)とは、病気を起こしたり庚申の日に体を抜け出して寿命を縮めさせたりする、人間の体内にいるとされる三種類の虫のこと。青面金剛については「陀羅尼集経」にあり、その恐ろしい姿から、邪気や悪病を払うご利益が期待された。とくに伝尸(または、伝屍:いずれも「でんし」と読み、結核の古称)病の予防治癒を祈ったという。これが、三尸とつながったものとされる。③邪鬼じゃき。日本や中国・朝鮮半島などに伝わる人間たちに対して悪をばらまく鬼たちの総称のひとつ。さまざまな災悪は邪鬼によって世にばらまかれるものとされていた。中でも病気、特に流行病は邪鬼たちの仕業とされた。④二匹の鶏暁を告げ、時刻を知らせる動物として親しまれ、夜を徹して行われた信仰との関係からとされる。また、申の翌日は「酉」からともいう。⑤三猿見ざる、言わざる、聞かざる。三尸に告げられないように「見ざる・聞かざる・言わざる」に由来すると言う説もあり。庚申は申の日の行事だから猿を彫り、酉の日にかけての行事だから、鶏も彫った。という説が有力。左横に横たわっている 石は ただのコンクリートではなく、こちらも石像です。上部が割れてしまっており、現在建っている塔が再建塔とすると、さらに古い時代の物と思われます。最近の庚申の年は、1980年です。60年毎のため、次は2040年です。この石塔は、1740年か1800年の物の再建でしょうか。