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名前 |
福博電柱博物館 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
5.0 |
杉山龍丸は、福岡県立福岡高等学校の前身の旧制福岡中学の卒業生です。独立間もないインドの留学生を紹介されたことから、ガンジーの弟子達との付き合いが始まりました。ガンジーの弟子達は、日本に民間の技術を学びに来ていました。最初の1人は、インドの陶器の父と言われるS.K.Mir mira氏です。彼は龍丸の世話で、土の選び方から、陶器の作り方までを、日本の窯元で学んで帰国しました。その後、次々と訪れたガンジーの直弟子達の世話をした後、インドの飢餓を救うために全ての財産を投入し、家も46000坪の土地も失い、太宰府市の借家で亡くなります。大きな業績としては、ひとつ目ニューデリーから北西に延びるNH1国道1号線沿いにユーカリの並木を500km弱つくった。ギネス世界記録の10倍以上の並木です。並木を植えた地域は、地下水位が上昇し、作物が栽培できる土地に変化しました。二つ目台湾の宝といわれた蓬莱米の種籾を、インドを救いたいと、蒋介石総統に直談判し、国外追放になりながらも、インドの飢餓を救う為にFAOを通して台湾からインドに寄贈してもらうことに成功したこと。蓬莱米は、インディカ米の3倍の収量を記録し、パンジャブ州は、現在、米の輸出地帯へと変化した。3つ目放牧民を説得し、放牧民と共に植樹して、一帯を耕作地帯へと変化させた。生命力が強いサダバルや栄養価の高いモリンガを採用した植樹法を確立して、ヒマラヤの麓に横たわる3000キロに及ぶシュワリクレンジの緑化法を確立した。