古刹の静けさ、常楽寺で心安らぐ。
常楽寺の特徴
創建は1237年、北条泰時公による歴史あるお寺です。
本堂には貴重な阿弥陀三尊像が安置されており見応え十分です。
重要文化財の天井画雲龍が鑑賞できる特色ある寺院です。
文殊祭本祭前日の令和6年1月24日、宵祭に参拝させていただきました。この日と25日のみ文殊堂安置の文殊菩薩坐像が開帳され、さらに一般人は宵祭の読経後にしか入堂しての拝観が許されません。大きくはない茅葺きのお堂内部は畳敷き(八畳程?)で、知恵をつかさどる菩薩様らしく、地元のお子さんが少なくとも20人は入堂する中、18時から読経がはじまりました。お子さんは読経後にお菓子をもらい、笑顔がこぼれていました。子供の笑顔は癒されますね。読経後に間近で文殊菩薩坐像を拝観させていただけました。少し下から拝見する文殊様は、かすかに笑みをたたえているように見え、事前に認識していた正面写真とは大分印象が違いました。宗風の美仏。間近で拝観できて大変良かったです。常楽寺さんは、阿弥陀堂の前にある公孫樹が個人的に特にお気に入りで、公孫樹落葉時の風情が素晴らしいです。今回は阿弥陀堂の屋根越しに見える月が大変綺麗に見えました。
六国見山ハイキングコースを歩き大船へ向かう途中に訪問。道路を歩いていると住宅街の入り口にしては珍しい立派な松があり、その下に寺標がたっているいるのが目印となります。三代執権北条泰時が義母の供養のために建てた粟船御堂がはじまりとのこと。茅葺屋根の山門を入ると見えてくるのが、不思議な木。 その前に立つ碑を見ると銀杏の古木が倒れ、その根から生えてきた枝たちとのこと。様々な樹木が、綺麗に手入れがされており、とても気持ちの良い雰囲気を醸し出している。
何度も来ている常楽寺ですが、2023.12.13はじめてガマがいる事に気づいて投稿。その他の写真は皆さんのを参考。初めて訪問する方で、見落とすのが、本堂の裏にある泰時のお墓とお寺を出て裏山にある悲劇の人、木曽塚そしてひっそりと大姫の説ありのお墓があります。足腰に不安な方はやめておいた方が良いですが、是非、地図で確認してみて下さい。
茅葺屋根の門が立派で、石畳のデザインが素敵なとても静かなお寺でした。北条泰時のお墓は本堂の裏手にあります。木曾義高のお墓は一度門を出て左手奥に進み、山の階段を登ったところにあります。
大船駅から徒歩15分ほどの位置にある古刹。北条泰時が開山した由緒正しい臨済宗の寺院。鎌倉の中心部からは離れていますが、古い歴史のある立派なお寺です。粟舩山という山号は大船の地名の由来にもなりました。駅からはやや遠いですが平坦な道のりをしばらく歩くとあります。お寺の建物自体は細い道の奥にあるのですが、道路沿いの立派な松と寺号碑が参拝の際の目印となります。境内は木々が生い茂っており、緑豊かです。茅葺きの山門も良い味を出していると思います。御朱印を頂きましたが、お寺の奥様と思われる方の対応が非常に丁寧で感動しました。お礼をする際の美しい所作は見習いたいです。
こじんまりした静かなお寺。北条泰時の墓が後ろに、公園の方に上がって行くと冠者殿・義高塚や大姫かもしれない祠がある。御朱印は庫裡でピンポンしたら女性が親切に対応してくれた。和尚がいないので書置きでも良いですかと。私の御朱印帳では見開きになった。
住宅街にあるお寺ですが木曽義高のお墓のある裏山に接しているので、本堂右手の庭園はこじんまりしてますがなかなか見事。本堂をくるっと回り込むと北条泰時のお墓があります。木曽義高のお墓へは一旦お寺を出て向かって左側の小道を常楽寺に沿って歩いていくと山に入れます。木曽義高のお墓の裏から小さな公園に抜けることも出来ます。
過去に何度か訪れていますが久々に来てみました。大船駅から歩いて行ける距離にあるので、意外と参拝客は多いですね。本堂の阿弥陀三尊像をじっくりと拝む事ができて良かったです。本堂裏の北条泰時公の墓の前でも手を合わせてきました。木曽義高の墓は裏山の中に有るそうですが、登り始めた場所に一般の方の墓地があったので、今回は見合わせました。門前の表示以外にも山の中に道標が有った方が良いと思います。
常楽寺は、鎌倉幕府第3代執権 北条泰時が妻の母のために創建した粟船御堂が始まりで、北条泰時のお墓もこちらにあります。また、禅宗を開くために第5代執権北条時頼が招いた蘭渓道隆が建長寺建てられる前、最初に入ったのがここ常楽寺とされています。さらには、裏山には、源義高の木曽塚と、義高の許嫁の大姫の墓といわれる姫塚があります。茅葺の山門をくぐり静かな境内と小高い裏山が巡るだけで、北条泰時の別邸であり、禅宗の始まりであり、大姫の悲恋の跡を巡ることができる不思議なお寺です。
名前 |
常楽寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-46-5735 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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1237年に北条泰時が義母の供養のために建立した粟船御堂が前身。建長寺開山の蘭渓道隆がその完成まで住していた場所でもある。茅葺の山門やお堂があり、本尊は阿弥陀如来。本堂裏には泰時の墓、裏手の山上には木曽義高(頼朝と平家討伐を競った木曽義仲の嫡男。束の間の同盟の為に頼朝の長女である大姫が許嫁になり、鎌倉にて人質として暮らしていたが、頼朝と義仲の関係悪化のため討伐された。なお、大姫はこれが原因で心を病み、若くして亡くなったと言われる)の墓がある。以前は広大な境内を抱えていたと思われるが、現在はかなり縮小している。長い参道に当時の面影を偲ぶことはできる。