源頼朝を支えた武士の邸跡。
畠山重忠邸址の特徴
鶴岡八幡宮から徒歩1分で行ける、歴史的なスポットです。
武士の鑑畠山重忠の屋敷跡がある貴重な場所です。
畠山重忠は忠義に篤い武士として有名な人物です。
畠山重忠邸址。(202211)※目印の南門がわかりやすく「南御門の家」と表現した?南門は大倉御所の南西の角ですが、東門跡と西門跡の配置から南門はもっと東寄り、六浦道(金沢街道)沿いではないかなぁ?中原親能(大江広元の兄)の亀ヶ谷の家(亀谷山寿福金剛禅寺は、源氏家父祖伝来の地)より畠山重忠の南御門の家に移住。🅿️駐車場は近くの観光駐車場。🚃最寄り鎌倉駅。🚻トイレなし。※客観的に普通のものが『最高』の評価になりませんので悪しからず。
源頼朝の挙兵に際しては当初は敵対をしていた畠山重忠。のちに頼朝に臣従して治承・寿永の乱で活躍をし、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、鎌倉幕府創業の功に大きく貢献した。しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて一族もろとも滅ぼされてしまう。ここはその畠山重忠の屋敷があった跡地とのこと。
源頼朝墓から鶴岡八幡宮へ近道の抜道を通ろうとすると有りました。源頼朝次女三幡の診察をした医師もこの屋敷に滞在したと碑文に書かれています。
「武士の鑑」畠山重忠の屋敷跡。いまは住宅街の一角に過ぎませんが、それを示す石碑に味わいがあります。鎌倉の街のそこここに見られる史跡碑は、大正12年3月(関東大震災が襲う半年前)に、鎌倉町青年団が建てたもの。隷書の表題と、説明の簡勁な文語体が、質実な武士の都らしい風情を漂わせています。
鶴岡八幡宮から頼朝の墓に向かうルートにありますね八幡宮の鳥居出てすぐのとこです源頼朝に尽くし最後は北条時政に権力争いの末滅ぼされた悲運の武士の邸宅跡です彼を滅ぼしたことで北条家は権力を集中させ国政を一手に担うことになるのです。
民家の脇、公道の上に石碑が有ります。遺構は0で石碑だけですが、畠山重忠邸があったと言う事が分かります。
2022.11.20鶴岡八幡宮から御所へと通じる道沿いで、八幡宮へは門を隔ててわずか1分。御所へも数分の距離だ。いかに重要な人物であったかが理解できる。
鎌倉散策をしていたときに、畠山重忠の屋敷跡の石碑を見つけました。鶴岡八幡宮東側出口、齋館の先にありました。先日の「鎌倉殿の13人」で、初代執権・北条時政の謀略によって、謀反の疑いをかけられ、子とともに討たれたばかりなので、印象に残っていました。武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称されていただけに、エ〜ッて感じです。大倉幕府と八幡宮の間に屋敷があったということは、かなり重用されていたと思うのですが…。今日は、お天気も良く、八幡宮も観光客で賑わっていただけに、人通りの少ない路地にある石碑が物悲しく思えました。
鶴岡八幡宮境内を入って東の方の出口を出てすぐのところに畠山重忠邸跡の石碑があります。石碑だけです。2022年のNHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】では中川大志さんが演じてます。
| 名前 |
畠山重忠邸址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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2025/2。風強い立春、旧暦1/15、満月の日。鶴岡八幡宮を出た隅っこにひっそりとありました。おおよそ、観光客やInstagramキ○ガイが来ないルートで鎌倉を回り、源氏山から化粧坂の新田軍北条軍の猛者の亡霊を連れて扇ガ谷、雪ノ下を闊歩し攻めこみました。僕は日本人なので、八幡様にはちゃんと正装で二礼二拝一礼しましたよ。…うーん、酔って書き込むもんじゃねえな(笑)重忠公はまことの武士、坂東武者の鑑です。誰もが素通りしていました。でも鎌倉町青年会の建てて下さった碑に感動しました。そして今、重忠公の散華された鶴ケ峰で飲んでいます。合掌。江ノ電にいざ鎌倉と乗り込めば緩り揺られて転(うた)た寝の旅源氏山数多の猛者を呼び覚まし道細き道今に来らしも今宵もや白刃のごとき鋭さは斃れし武士の覚悟ありなむ寒月や古都の無念を研ぎ澄ます。