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名前 |
妙興寺十西墓地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
寛政の妙興寺村の村絵図には、集落の北、東、南東の3箇所に三昧の記載がある。ここの前身は妙興寺村3三昧のうちの南東の三昧と思われる。国土地理院の1945〜1950年の航空写真では、現在の位置よりやや南に細長く墓地と思われる区画がある。その後、名神高速道路の建設に伴い、今の位置に移動したようだ。南側の入口入ってすぐ右手の三界萬霊塔の裏面に昭和38年の墓地移転について刻まれているが、これが名神工事の際の移転であろう。この墓地は南側の約3/4のエリアと、北側の約1/4のエリアが低いブロックで区分されている。1987〜1990年までの航空写真では北側のエリアは木々に覆われており、また北側の入口入ってすぐにある「十西墓地」の石碑の裏面に平成10年の改葬について刻まれている。北側のエリアは南側とは異なった歴史があるようだ。この墓地には棺台と供物台が2セット残されており、一組は南側入口と北側の入口を繋ぐ道の途中に鎮座している。もう一組は北側の六地蔵と阿弥陀仏の前に鎮座している。棺台が2つあることからも、この墓地の南側エリアち北側エリアは異なる来歴を持ち異なる管理がされていたと推測される。