室町の巡遊、文化の足跡。
道興准后歌碑の特徴
室町時代の巡遊・歌の足跡を辿れるスポットです。
京都から奥州までの行程が感じられる歴史的名所です。
文明18年の旅行をテーマにした文化的な遺産です。
室町時代に京都からここまで巡遊にきて歌を残した、、、とのこと。
文明の足跡、と言うと。曲解されますな。⊂(・ε・`)ノシ.:∴道興(どうこう)准后(じゅごう)は、関白近衛房嗣(ふさつぐ)の子供。永享(えいきょう)二年、1430年の生まれ。本山派(天台宗系)修験の、最高峰とされる、聖護院(しょうごいん)門跡(もんぜき)となったそうな。光合成、皇太后、大皇太后に準ずる待遇の准后の称号を得たそうな。文明十八年(1486年)6月から、十九年春まで、東国巡遊の旅に出ています。志木市幸町三丁目辺りにあったらしい、十玉坊(じゅうぎょくぼう)を拠点に、柏の城や野火止、膝折の各所に行き、即興で歌を詠んだそうです。夕けぶり、あらそう暮れをみせてけり、我家々のむね岡の宿。
| 名前 |
道興准后歌碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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2022.9.272025.8.16文明18年6月に京都を発つと、若狭国から越前国、加賀国、能登国、越中国、越後国の北国を経て、下総国、上総国、安房国、相模国の関東を廻り、翌年5月には武蔵国から甲斐国を廻り、奥州まで至っている。道興は後に東国廻国を紀行文『廻国雑記』として著している。文明18年から19年(1486–87年)にかけては聖護院末寺の掌握を目的に東国を廻国した。以下案内板より道興准后は関白近衛房嗣の子として永享2年(1430)に生まれ長じて本山派(天台宗系)修験の最高峰である聖護院門跡に任ぜられて、皇后・皇太后・太皇太后に準ずる待遇の准后の称号まで与えられるとともに、護持僧として将軍義政や義尚からも深い信任を受ける一方では、詩歌をよくする風流人でもありました。道興は、文明18年(1486)6月から19年春にかけて、東国巡遊の旅に出かけましたが、その際現在の志木市幸町三丁目の地点への比定が有力視されている十玉坊(じゅうぎょくぼう)を拠点として、付近の大石信濃寺の館(柏の城:現志木第三小学校)を始め当地や野火止・野(以上新座市)膝折・浜崎(以上朝霞市)の各地に足を伸ばしては、即興的に多くの歌を詠んでいます。宗岡の地に足跡を残したのは、文明18年の秋頃と思われますが、その時詠んだ歌がこの碑に刻まれています。文献に志木市内の地名が現れる最初のものという点で、この歌の持つ意味は大変大きいものとなっています。夕けぶりあらそう暮をみせてけり我家々のむね岡の宿。