荏田城址で歴史を感じる。
荏田城跡の特徴
古鎌倉道と大山道のはざまに位置する歴史深い荏田城跡です。
平安時代の江田源三広基の居館跡として知られているお城です。
後北条氏の城として利用された歴史的背景も感じられる場所です。
私有地で手が出ないタイプのお城。ただ、残してもらっているのはありがたい。リアルに城跡っぽい。侵入できなかったので、遺構はよくわからないけど、鎌倉街道沿いのお城であり、鎌倉時代から後北条氏が滅びるまでは、そこそこ重要であったことが想像される。
江田駅から徒歩で7~8分の場所に有る。厚木街道から路地に入ると直ぐの所だが、立ち入り禁止になっている。サイトによると平安時代末期に源義経の家臣・江田源三の居城だったといわれている。史跡なので訪れる人も居るでしょうから標識くらいは設置して欲しいですね。
古鎌倉道と大山道のはざまにあった城で、平安時代に江田源三広基の居館であったとか武蔵七党綴党の荏田氏の城であったという説があり(後者のほうが有力)、室町時代には武蔵国荏田郷内堀内赤田之田畠と記述があるほか、戦国時代には後北条氏の城として使われ後北条氏滅亡によって廃された。空堀がふたつあった小さな城で、東名高速道路建設でほとんどが消失し残りの民有地側竹林内は土塁などの保存状態がよいと言われている。しかし、民有地であり地主の意向で立ち入り禁止にされている。現地が見られたとしても、竹が生い茂っている状態で城の構造について知識がないなら土塁など痕跡があったとしても容易に見分けられないのではないか。
源義経家来、荏田源三弘基の館跡と言われ、荏田源三は主に先陣役を受け、土佐の坊による堀川夜討ちに活躍。
平安末期 源義経の家臣江田源三が居城。戦国時代は後北条家の支配下。
名前 |
荏田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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かつて荏田城があったところ。現在は立ち入ることができないため、どのような状況なのか確認できない。史料によると、片方の斜面は東名高速の建設のために削られたが、もう片方は竹林になっている。遺構の保存状態は良いとある。このすぐ近くには荏田宿もあった。