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名前 |
賀茂神社(小倉) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
賀茂神社、京都府福知山市夜久野町小倉。主祭神=明らかにならず、一般的に、賀茂別雷大神。京都上賀茂神社から分霊。石灯籠=天明年号。大正8年(1919)に、旧口小倉から現在地へ遷座。百々手式が伝わる。山間の盆地となる地形、広い土地へ村が見え、社叢に囲まれた社殿と出合う。社殿は、拝殿、幣殿、覆殿の下、本殿を収める。拝殿は、瓦葺き、切妻造、一間、平入とし、向拝を伸ばす。流造のように屋根は繋げたままで続く。意匠も見え、組物や木鼻のあしらいを配す。雲模様などの彫り物を添える。幣殿は、銅板葺き、切妻造、一間、妻入とし、一段上がった本殿へつなぐ。屋根は本殿へ向けて、滑らかに反りを持つ。雪への耐性を高め、完全に塞ぐ造りとし、窓の部分が開くような構造となっている。覆殿は、背がやや高く、銅板葺き、切妻造、一間、妻入とし、やや高く、石垣の上へ建つ。菊花紋が見えるぐらいで、派手な意匠はない。壁で覆う構造とする。側面からは屋根が太く見えるので、萱葺きを手直ししたものと理解した。本殿は、見える限りだと、正面の龍がまず目に入る。杮葺き、一間とし、軒唐破風を付ける。特に意匠が細かく作り込まれている。組物や木鼻、欄干、階段状の祭壇が見える。彫り物は、先の龍以外にも、鷹や木鼻に獅子を配す。扉にも意匠が見え、脇に雲模様を付ける。社殿裏手に、小祠ほか、石が祀られており、2つの御神燈と思われる石と、3つの石が見える。境内社=不明。鉄板葺き、いわゆるトタン板のように見え、流見世棚造、一間、平入とする。覆殿のように考えることもでき、中に小さな本殿を収める。記念碑があり、由緒が見える。明治42年11月10日、各社を合祀、京都上賀茂神社から分霊、大正8年(1919)に資金を寄贈、竣工式を執り行ったとする。