麻生区で歴史を感じる散歩。
平和の碑の特徴
昭和19年からの歴史を持つ、戦争の記憶が刻まれた碑です。
かつてサーチライト基地が存在した、川崎市北部の静かなスポットです。
散歩しながら戦火を考える、歴史に触れられる貴重な場所です。
嘗てこの碑の上方、標高70m地点に1944年(昭和19年)9月21日から敗戦翌々日の1945年(昭和20年)8月17日まで陸軍のサーチライト基地があった(配属部隊は高射第1師団高射砲第112連隊と考えられると言う)。場所はおそらく、丘上に建つ柿生線15号鉄塔と16号鉄塔の間位であろう。尚傍らの石碑「地神」は、屋敷や畦などに祀られる土地の神様という。
川崎市麻生区にも戦火が及んでいたのかなと考えさせられました。
川崎市の北部のあり目立ちません。
田園の見える路地の途中にぽつんと立っている。路地は狭く歩道と車道の区別もないにも関わらず交通量は多め。ほとんどの車が高速で通過するため、気をつけなければならない。
この地点の背後の斜面を登った標高70mの位置に、1944年9月(S.19)から1945年8月17日(S.20、8月15日が敗戦)まで1年ほどの間、探照灯(サーチライト)の基地がありました。この碑のあるあたりは標高48mほど。探照灯は、夜間にやってくる米国の爆撃機を照らして高射砲の標的とするためにあったとのことです。直接の関係はわかりませんが、1945年(S.20)4月2日(深夜から早朝のことらしい)にここから東に3km程の長沢塔之越(ながさわとうのこし;現在の麻生区東百合丘1丁目と多摩区南生田2丁目の境界付近)に米国の爆撃機B-29が1機墜落しました。水田に落ち、部品も周囲に散らばったものの、家屋の被害や住人の負傷者は出ませんでした。当時の農家で、今も部品を持っているという人もいます。現在の三鷹駅の北側にあった当時の中島飛行機武蔵製作所の爆撃に飛来して、ここから北西に14km程の立川付近で高射砲により被弾したといわれています。火に包まれながら徐々に高度を落として墜落したといいます。乗員9名は、1人がパラシュート降下したものの重傷で、結局は全員死亡したとのことです。(中島飛行機武蔵製作所の跡地は現在は武蔵野中央公園になっています)(参考:川崎市HP、墜落の件の参考記事:地元情報誌「くらしの窓」 2010年4月11日)(updated: 2018-01-11)
| 名前 |
平和の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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散歩した。風が気持ちいい。