街中で静かなひととき、日吉神社。
日吉神社の特徴
年明けの初詣に訪れる、地元の愛すべき小さな神社です。
階段を登るのが大変でも、地元の方がしっかりお参りを続けています。
遊具が設置されたユニークな神社で、家族連れにも人気があります。
幼い頃から親しんできた場所です。大人になって訪れると意外と狭く感じますが、懐かしさがそこかしこに詰まっている大事な場所です。
多くの人が遠方から参拝に来るような感じではないが、喧騒を忘れて一休みするには丁度いいかと。二俣川駅と希望が丘駅の間にあるので、時間がある人は一駅歩くついでに寄るのもいいだろう。
この地区の神さまです。今日、9月14日(土)は、お祭りです。
日吉神社と書いて「ひえじんじゃ」と読みます。
横浜市旭区さちが丘にある小さな神社です。二俣川日吉社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代には榛谷氏の御厨が置かれていたことから、その頃からの鎮座ではないかといい、江戸期には二俣川村小名榛ケ谷の鎮守社だったといいます。天保十四年(一八四三)滋賀県坂本の日吉神社からご身体の幣束を拝受して現在の奥殿へ安置したそうです。地域の氏神様として今も地域に愛されている様です。
横浜市旭区さちが丘にある小さな神社です。二俣川日吉社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代には榛谷氏の御厨が置かれていたことから、その頃からの鎮座ではないかといい、江戸期には二俣川村小名榛ケ谷の鎮守社だったといいます。天保十四年(一八四三)滋賀県坂本の日吉神社からご身体の幣束を拝受して現在の奥殿へ安置したそうです。地域の氏神様として今も地域に愛されている様です。
2023/8/28日吉神社は、新編武蔵風土記稿では、山王社と呼ばれていたようだ。創建年代は不詳。鎌倉時代には榛谷(はんがや)氏の御厨(みくりや)が置かれていたとされ、その頃の鎮座と伝わる。江戸期には二俣川村 小名 榛ケ谷の鎮守社だった。天保14年(1843年)に社殿を造営し、滋賀県坂本の日吉神社からご身体の幣束を受けて奥殿へ安置したとされる。ここに有る 榛谷氏 は、二俣川で討たれた 畠山重忠 の従兄弟だ。鎌倉初期に滅亡し武将としては殆ど知られてないが、その名は昔は地名として、今は バス停(半ヶ谷) などに残る。この神社は質素だが、より興味深い石塔群が有り、そこに半ヶ谷の名も多く見られる。まず鳥居左の草むらに立つ石塔から。①石坂供養塔(方柱)「石坂供養 氏子 若者中・明治廿九 申 年九月吉日」ー1896年建立。拝殿への坂道の供養だろうか。次は本殿横(左)に立つ石塔群について、②灯籠 (縄付き円錐形屋根/円筒形火袋)ー庭園用だろうか、屋根に縄をかけた小さな石灯籠。火袋の格子の細工も凝っている。まるでアンティークだ。③社庭拡張記念碑 (自然石/板碑)「社庭擴張紀念 大正九 庚申 年 四月二十日」ー1920年建立。④庚申塔・道標 (尖頂方柱/文字)「庚申塔 (講中4名)・北 むら 東 可(奈)川 /ミち (講中3名)・南 とつ加 西 大山 /道 (講中3名)」ー年号は不明。素晴らしい道標だ。⑤道祖神 (尖頂方柱/文字)「道祖神 文政二 卯 十月吉日・庚申講中」ー1819年建立。⑥庚申塔 (尖頂舟形/青面金剛/邪鬼/三猿)「武州都築郡 半谷村講中 都合十二人講◯・奉造立庚申供養宝(堛)・元文二年舎 丁巳 閏十一月七日」ー1737年建立。舎/宝(堛)の意味不明。⑦巳待供養塔 (尖頂方柱)「巳待供養塔・文政六 癸未 四月吉日・武州二股川 内半ヶ谷 世話人 佐藤清右エ門」ー1823年建立。十二支の巳の日或いは干支の己巳の日に弁才天を祀り、家内安全/豊作などを祈念する。⑧秋葉山御神塔 (方柱)「奉納 秋葉山御神塔・天保二 辛卯 九月吉日・◯講中」ー1831年建立。⑨齋上地神塔 (突頂方柱)「齋上地神塔 邑中・嘉永四年歳在 辛亥 五月吉辰・武州都築郡二又川郷半ヶ谷・世話人 新堀又左エ門 鈴木巳之助 飯田久米藏」ー1851年建立。齋上 は土地の名か。歳在 の意味不明。
二俣川駅からナビ検索して見つけ参拝しました😊階段を登るのが大変そうな年配者が下の鳥居でお参りしております。階段を登り写真を撮りました🍀帰りは西側からスロープの生活道路で帰りました🙏
地元に愛されている神社です。普段は静かでとても落ち着く場所、お祭りの時は地元の人達でとても賑わいます。
| 名前 |
日吉神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=373&cd=1203057&scd=&npg=0 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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素敵な神社です いつも心を救って頂いてます。