1300年前の静けさ、三軒茶屋で。
圓泉寺の特徴
三軒茶屋から徒歩圏内にある隠れたスポットです。
学生時代からの地名が響く歴史ある寺院です。
待ち合わせ前に訪れるのにも最適な場所です。
住宅が密集した一帯にパッと現れる広い境内。平坦でキッチリ整備され近代的な印象で古刹感はあまり有りませんが、広々しているのでスケール感あり。見どころは太子堂,聖徳太子之像,弘法大師御修行像,子育地蔵尊,世田谷区名木百選選定樹のイチョウ(根元に巣があるのかミツバチがよく翔んでいた)など。木の中の空洞に祀られた庚申塔が神秘的な存在感放つ。
太子堂の地名は学生時代から知っているが、当時は気にもしていなかった。江戸五色不動尊の青目不動が三軒茶屋にあることを知り、太子堂の地名を思い出した。地名からして古刹があるなとググるとヒットした。迷いながら門前近くに至り、角に林芙美子と壺井栄の旧居跡の案内板があり、縁を感じて一回りした。
知人との待ち合わせに早く着きすぎて三軒茶屋を歩いていて見つけました。お参りして書き置き御朱印を頂戴して戻りました。お寺さんの木から異様な鳥の声が聞こえたので確認してみたら野生化したインコでした。
世田谷の中に有るお寺としては古く一番高い所からは三茶が見えます。住職さんは感じ良く、中々聞き心地の良いお声と説法です。
〔太子堂・聖王山 法明院 圓泉寺/Tasishidou ; Ensenji Temple〕9世紀に、大規模な疫病が流行し、弘法大師自ら、その消除、民の安泰を願い作ったという 聖徳太子像が祀られています。<仏像をしょって、布教の旅>この地には、南北朝後半(14世紀)には、太子堂があったと伝えられています。湧き水も湧いていたために、円泉ケ丘と呼ばれていました。文禄4年(1595年)に、大和の久米寺から一人の僧侶が布教に、この土地を訪れました。背中には、弘法大師作と伝わる聖徳太子像、運慶作と伝わる 十一面観音 像をしょっていました。<夢に現れた聖徳太子様>夜寝ていると、聖徳太子様が夢に現れました。「この地に留まりたい。あなたも留まりなさい」と告げました。そして、本堂と太子堂を建立したと伝えられています。それ以来、野菜を栽培していたこの付近は大変繁栄して、現在の三軒茶屋の街につながりました。<世田谷の寺子屋>世田谷の寺子屋は、この太子堂から始まりました。まだまだ 身分制度が厳しい幕末期から、四民平等の思想の元、教育が始まったと伝えれています。〔アクセス〕東急 三軒茶屋駅 徒歩10分。(茶沢通りを、北沢方向に歩いていくと、右手の歩道に、太子堂参道 の石碑が建っています。)
玉川八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。真言宗豊山派のお寺で聖王山法明院圓泉寺といいます。玉川霊場の御本尊は不動明王で、霊場第五十一番札所になります。伝えられるところによると賢恵僧都が大和(奈良県)久米寺より聖徳太子像と十一面観世音菩薩を背負って関東へ下り、文禄四年(1595)この地に一泊した時、霊夢の中に聖徳太子が現れこの地に安住することを告げたために、十一面観世音菩薩を安置する本堂と聖徳太子を安置する太子堂を建立した。以来この地が拓かれて「太子堂村」と言われるようになった、寺の草創は更に古く、少なくとも南北朝末期頃(1392年頃)には圓泉寺の前身である圓泉坊が結ばれていた。
商店街から相当離れているので静かで落ち着ける広々した空間、1300年前を瞑想できる。
2016/9/3拝受 玉川八十八ヶ所巡礼第51番札所。創始は南北朝時代(1332年~)と言われる歴史の古い寺院。境内が広く巨木がその古さを感じさせてくれる。大師堂はよくあるけど太子堂(聖徳太子)は稀有なので貴重な体験をしました。玉川八十八ヶ所巡礼第51番札所の御朱印を頂きました。有難う御座います!
三軒茶屋駅から茶沢通りをしばらく行くと聖徳太子参道と書かれた標石がありました。薬局のわき道を行くと間もなくのところにあります。途中、ケヤキの古木の並木があります。本堂は屋根が美しい新橋色の建物でした。地名の由来となった太子堂はコンクリートの建物の上に建っていて階段を上ったところにあります。傍に聖徳太子像が建ってますがイメージとは違ってこっけいな感じでした。
| 名前 |
圓泉寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3414-2013 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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