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名前 |
金山大権現 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
多摩市の数少ない徳川家ゆかりの史跡っす~♡以下看板より金山大権現(かなやまだいごんげん)石 (ほこら) には文化十一年(1814年) 十一月吉日と彫られていたと伝 えられています。 左側に建立立石宮 金山大権現」と彫られているのがわずかに確認することができます。徳川家康の日光への道 (せんそう)元和2年(1616年) 4月に静岡県駿河で去した徳川家康は、遺言に従い翌年の元和 3年久能山(静岡県)から日光(木県) に移されました。この移送について調戸には、古文書と伝承が残っています。 元和3年に出された文書には、久能山から三島 小田原 中原 (平塚) 木 (町田) 府中(川越) (行田) 佐野 日光と云う移送ルートが記されています。その距離 306kmで約ひと月の道のりでした。 戸から府中に至る宿駅となっており、この地で人間の立(つきたて交代)が行 われたものと思われます。伝承では調戸から府中に行く際、多摩川の河止めに遭い一行は一泊したとの言い伝えがあります。 一泊した場所に、この金山大の石祠を建立したものと思われます。石碑は徳川家康が祀られている日光東照宮の方向 (北)を向いて設置されています。 この場所は、今も地域の方々や関戸熊野神社の有志により、大切に管理しています。 令和2年10月吉日 関戸熊野神社「小野から戸への道中でのアクシデント」小野路を出発して街道「上の道の向坂の」と言う坂を下った時、ご尊壇をのせた車の車輪が壊れ急遽 小野村から鍛冶屋を呼び寄せ修理をさせました。そして一行は瓜生坂を超え貝取村、関戸村を通過し多摩川を渡り無事府中に入ることができました。 小野村の人たち は車の修理や道の整備に尽力したと、幕府から助郷免除の権利を得たと伝えられています。