信玄堤の夜桜幻想美。
信玄堤(竜王川除場)の特徴
武田信玄が築いた堤防として、治水技術の高さが際立っています。
信玄堤公園は川沿いに広がる大きな公園で、遊歩道が整備されています。
ランニングにも最適な良い雰囲気で、心地よく走ることができました。
とても素敵な場所でした。川を見ながら広い道を進む。犬の散歩もしやすい。山梨の観光地としては大々的に宣伝している場所ではないけど、地元の歴史あるいい場所って感じです。
かの武田信玄が河川の氾濫を防ぐために造成しました。私はかつて小学校の遠足で訪れましたが、同じ経験をした人が山梨県には多いでしょう。山梨県は山あい地域が多いのですが、ここは甲府盆地で釜無川の開けたエリアです。歴史を感じることができます。
何かのイベントか人が多くて観光バスも来ていました受付や説明員の方も何人もおられて。
信玄堤は武田信玄が築いた堤防で、治水技術の高さや歴史的価値、景観などの魅力があります。(治水技術の高さ)⦿堤防を不連続な『霞堤(かすみてい)』状に建設することで水流を分散して勢いを弱める仕組みです。⦿堤防の途切れ目が水圧を分散することで壊れにくくなります。⦿洪水が解消されれば、水が自然と川に戻っていく。(歴史的価値)⦿江戸時代以前の洪水技術を垣間見ることができる貴重な土木遺産です。⦿基本構想は450年以以上前に武田信玄が構想したものが受け継がれています。⦿『甲州治水工法』として全国に広がり現在も河川工学の手本とされています。(景観)⦿春には桜、秋にはケヤキの紅葉が楽しめます。⦿甲州三大御幸祭のひとつ『おみゆきさん』が開催される場所です。
戦国時代を代表する名将武田信玄公によって築かれた堤防です。毎年雨期になると大水に見舞みまわれ、付近の住民は苦しめられていたそうですが、洪水かそれは困ったなーでなくて領民のため水をコントロールしたろまいと思うところが、信玄公の偉大な所かと思います。完成までに二十年弱を要したその執念にも驚かされます。築堤以来450年以上甲府盆地流域を守り続けているところに信玄公の偉大さと今も地元の人に愛される理由があるのかと思います。
川沿いに広がる大きな公園です。紅葉の季節に伺いましたがとても綺麗でした。釜無川と御勅使川の合流地点でたびたび洪水が発生したことから、武田信玄公が20年近い歳月をかけて築き上げた水害対策が信玄堤とのことです。あちらこちらの方向に流れていた御勅使川の流れをまずは1つにまとめて、そこからその流れを分割することで釜無川との合流が円滑に進むようにしたそうです。そのうえで約1800メートルに及ぶ堤防を築くことで水害を抑えました。その工法は当時では画期的だったとのこと。また、当時は水の流れを緩めるために聖牛と呼ばれる装置が川の中に置かれたそうですが、そちらも再現されて河原に複数設置されていました。河原に降りなくても遊歩道にも見学用に1つ設置されています。現在は川沿いに広がる公園として整備されていますが、あちらこちらに水に関する説明板があり、釜無川が水害の原因となりつつも、大事な生活用水に利用されていたことが良くわかります。
信玄堤公園となってて遊歩道も有って良い雰囲気、私はランで訪れましたが気持ち良く走れました。天気が良ければ信玄堤から南アルプスが見える様です。
毎年、信玄堤の夜桜を見に行きます🌸🌠🌙幻想的で綺麗です!山梨県民は、比較的、桜の花の下で、お酒飲んで、騒ぐ事を余り見ません!ただ、綺麗に見る感じですね!私は、信玄堤の春と秋が好きです✨2025年4月6日、昼の桜の花を見に行きました🌸😄桜の種類は、ソメイヨシノと太白桜です✨日曜日だったので、混んでました!『加工はしてません』シャッターチャンスでしたね😆🌞🌸
2024/4/12に訪問。緑がとても多いのですが一方で解放感もある場所で、ずっとベンチに座っていたくなります。東京の桜満開の1週間後に訪問しましたが、満開ちょい過ぎくらいで、十分桜を堪能できました。(2025/4/3)お花見ツーリングの初日、信玄堤に再び。東京の多磨霊園が満開近くのこの日、信玄堤の桜は8分咲きでした。あいにくの雨でしたが、しっとり綺麗に咲いていました。
| 名前 |
信玄堤(竜王川除場) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
信玄という人は…。ほうとう、みそ縄、聖牛治水、棒道、軍艦、日本初の水洗便所。戦好きというより、工夫好きオヤジだった、かと。百年近く前のことを伝える甲陽軍鑑が、噂話からの虚像まで伝えている可能性はある。氾濫抑止の治水は、田畑と生活を守る目的。と、もう一つ。甲府盆地には、かつて地方病という悲しみがあった。寄生虫によるもので、氾濫のたびに蔓延して罹患者が急増した。解明、そして撲滅宣言は平成8年。信玄という人は、戦国期に、腹水を起こす奇病とも戦っていた。訪12中。