大國魂神社の鼓楼で 時を告げる歴史の響き。
大国魂神社鼓楼の特徴
大国魂神社の参道に位置する、歴史ある鼓楼です。
古来より時刻を知らせるために使用された荘厳な楼閣です。
随神門をくぐりたどり着く、亀石先の特別なスポットです。
本殿へ向う途中、左手にある大きな鼓楼。
随神門を入ると左に楼閣が佇んでいる。これまで何度も見ていたが、解説パネルがあることにはじめて気づきました。それによると、これは時を知らせるもので、お寺は鐘、神社は太鼓を叩いて知らセたといいます。一度焼失したものの1854年に再建されたもので、腰壁は木目が浮き立ち永い年月を経てきた風格が漂い、宿場町だった頃の府中の街に響き渡る太鼓の音色を想像した。今も太鼓を叩いてるのでしようか?一度聴いてみたいデスね。初詣の折にでもぜひ叩いてもらいたいデスね。
鼓楼(ころう)は、太鼓で時刻を知らせる建物です。
大国魂神社の参道を進み、随神門をくぐり、左手の亀石の先に建造されています。昭和56年に府中指定文化財に指定されています。以下は大国魂神社のホームページより抜粋です。その昔は、時刻や緊急事態を知らせるための太鼓を置いた建物である。寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を置くから「鼓楼」と呼ばれる。慶長年間の造営の際に、三重の塔と相対して建設された。しかし正保3年(1646)の火災で焼失、約200年余後嘉永7年(1854)再建される。慶長年間の造営 徳川家康が江戸開幕を祝って六所宮の本殿を造営、それに伴うものとして鼓楼と三重の塔を建立した。
太鼓の楼で鼓楼。府中市の有形文化財。
神社において、古来より太鼓により時刻を知らせる為の楼閣。慶長年間に創建されたが、1646年(正保3年)の大化により焼失、1854年(嘉永7年)に再建。
1854年に再建された鼓楼。鼓楼とは寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を置くため名称が違うとのこと。ただ、日光東照宮には鼓楼も鐘楼も見られます。
大國魂神社の鼓楼です。慶長年間に建てられたが、正保3年1646年の大火で焼失し、その後、嘉永7年1854年に再建されたそうです。その後、何度も修理されていますが、よく当初の原形を保っている、神社としては数少ない貴重なものと説明板にありました。
その昔は、時刻や緊急事態を知らせるための太鼓を置いた建物である。寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を置くから「鼓楼」と呼ばれる。 慶長年間の造営の際に、三重の塔と相対して建設された。しかし正保3年(1646)の火災で焼失、約200年余後嘉永7年(1854)再建される。慶長年間の造営 徳川家康が江戸開幕を祝って六所宮の本殿を造営、それに伴うものとして鼓楼と三重の塔を建立した。
| 名前 |
大国魂神社鼓楼 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 6:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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府中市指定文化財有形文化財(建造物) 大國魂神社鼓楼指定 昭和五六年一〇月一六日鼓楼は太鼓を懸け時刻を知らせるための建物で、元来中国で発達し、わが国へは鎌倉時代に移入され、主として寺院に設けられました。そして江戸時代になると鐘楼と相対して造られることが多く、 宇治の万福寺や日光東照宮のものがよく知られています。大國魂神社では慶長年間の造営の際に、三重塔と相対して建てられましたが、正保三年(一六四六)の大火で焼失、二〇〇年余たった嘉永七年(一八五四)に再建されました。現存するこの鼓楼は、その再建連社板によれば、府中をはじめ日野・多摩・町田の各市域の一七名の人々によって寄進されたものであることがわかります。【現地案内板より抜粋】雰囲気のある鼓楼です。数度の修理が加えられていますが、よく当初の原形を保っており、神社では数少ない貴重な建築物です。