源平の歴史が息づく神社。
子之神社の特徴
源為朝や源義経に縁のある神社で、歴史的背景が豊かです。
急な階段を登ると、高台に立派な社殿が待っています。
初詣や秋祭りには地元の人々で賑わう、地域密着型の神社です。
オヤジ駄俳人。子神社と言えば、オオクニヌシノミコトをネズミが助けたので、ネズミ=オオクニヌシノミコトがだいたい祀ってある。ここの名前の由来は、子の位置の十二神将がオオクニヌシノミコトと合祀されているので、そこから子神社らしい。十二神将由来とは大変珍しい!源義経の前の世代の源平合戦の時に、義経の母親がここら辺に戦を逃れて住んでいたらしい。で、叔父の為朝が父の義朝に向けて放った矢の矢じりをなぜか母が持っていて、義経に矢じりをあげた。義経はその「矢じり」をお寺に納めた。そのお寺から矢じりを引き取ってここの神社に祀ったので子神社、改め「根神社」となった。何で?と言う情報多すぎ。ホワイ ジャパニーズ ピーポー案件。妄想劇場>義経の矢じりがお寺に納められてるそうじゃねぇか、このままだと坊主丸もうけだな。そうだ、義経の強さにあやかって村の守りとしたいから、子神社に祀って根神社に名前を変えるんで頂けませんかって村人全員で行きゃあ、坊主も断れないだろう、と悪知恵の働く村人が居たとか居ないとか。新田義貞が鎌倉攻めの際に神社焼失。再興。豊臣秀吉が小田原攻めの際に、上杉勢により神社焼失。再興。どんだけ焼失しとんねん。しかも歴史的にデカイ戦の時に焼失してる。ここの神社燃やすと戦に勝てるジンクスでもあったんかーい。と、まあ、逸話盛り盛りのスゴイ神社ですよ。神社は高台にあり、景色が素晴らしい。本殿の壁面は彫り物で埋められているらしいが、内部の話かな? 内部は扉が閉まっているので拝見できなかった。ーーーー秋の色 壁面彫刻(へきめんちょうこく) 江戸の色風を切る 秋の狩り場に 義経の矢根神社の 景色楽しむ 秋蛍。
多摩丘陵の終わるところに位置する神社。眺めもよく新宿のビル群も一望できます。隅に奉納されてる砲弾が印象的。
階段が少し急ですが上がりきると社がとても立派な神社です。ご祭神は、大己貴神 おおなむちのかみ。社も立派でこの辺りの神社の中でもパワースポットです。拝殿の彫刻は江戸の名のある彫工の作と推定されます小高い山なので、ここからの景色も良き眺め。
川崎市多摩区菅エリアで一番大きな神社かと思う。お正月限定の御朱印もいただけ、初詣で賑わいを見せる。高台にあり、都心方面の眺望も得られる!
源為朝、その兄の源義朝、義朝の側室の常盤御前、そして子孫の源義経に縁の有る神社です。保元の乱の「白河殿夜討ち」の際、源為朝が兄・源義朝に放った矢の鏃(やじり)を常盤御前が常に所持し、後に子孫の源義経に譲り与えたとか。そして、その鏃(やじり)を義経がこの神社(の前身)に納め、後にそれを御神体とし、小沢郷七村の総鎮守としたらしいです。子之神社の創建年は不明ながら鎌倉時代には小沢郷七村の総鎮守だった事から、鎌倉時代にはすでに存在していたと思われます。戦国時代には兵火にて焼失しました。1679年江戸時代初期には、旗本の中根正到という方が再興したらしいですね。地味に良い神社です。落ち着く雰囲気でした。
静かで心が落ち着く場所です🙂
いつもの散歩コースに含まれる神社。階段を登るとお気に入りの見晴らしが伺えます。脇に不発弾らしきものあります。どんな由来があるのだろう。
多摩区菅地区の⛩️総鎮守⛩️にあたります、源平合戦後期💣の創設、社殿は高台に有るため道中は険しい階段😣を登っての参拝に成ります、社殿脇まで車🚐で行けますが駐車台数に制限有り🚘
高台に有り、眺めは良い。
| 名前 |
子之神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
044-944-2021 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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こじんまりとした地元地域の氏神様。ただ急な階段もしくは急な坂道を登らないとたどり着けません。高齢者には辛い神社です😅