高山右近の城跡公園、静かな憩いの場。
高槻城跡の特徴
高槻城跡は戦国時代の高山右近が城主の歴史深い場所です。
整備された公園に隠れた城跡の石垣が静かに佇んでいます。
芥川山城のスタンプラリーなど、楽しめるアクティビティもあります。
南北朝時代に入江氏の居城となり戦国時代に入り織田信長が入江氏を滅ぼし和田惟政が入城、その後は高山右近が堅固な城郭を築きました。大坂夏の陣の後に幕府による直接、改修工事が行われ永井直清が入城、明治維新に至る13代まで続きました。現在は明治になり廃城となり京阪鉄道建設の為に石垣が破却され資材として利用されました。城跡としては全く残ってませんが所々、石垣の石が転がってます。
城主は有名どころで、和田惟政や高山右近がいます。現在は公園になってます。高山右近の銅像が立ってたり庭園っぽい池があります。歴史資料館は凄いです。
お散歩にちょうど良い公園。子供用の遊具もありました。
これだけ何も残ってないとは···。石碑、案内プレート、高山右近の銅像なんかはある。歴史資料館なんぞは立派やけど。跡地になんか色々造るつもりかな。
通常でいけば、遺構がほぼ原型を留めていず、評価は当然下がるところです。ただ、高槻市しろあと歴史館が結構立派で、展示物がきれいに整えられています。城跡公園はそれっぽくできていて、高山右近の銅像もあります。それにしても、江戸時代を通して存在していた歴史的遺構をこれだけきれいになくしてしまう街はあまりないのではないかな。敬われていなかったんだろうか。でも、再現しようとしている部分もあるし。高槻市民、よく分からん。さらに今、二の丸跡には、何やら新しく建物を建てています。
城跡が公園として整備されています。人がたくさんいました。緑が多くて落ち着きます。
石碑のみの城跡。みんな勘違いしていますが高槻城公園の外にあって公園とは関係ありません。何故か大阪府立槻の木高等学校の校庭に石垣らしきオブジェが見られます。フェンス越しに見学できます。明治期にまで生き残ったけども明治7年に鉄道敷設の為に破壊されたてこのように石碑だけ残っています。当時としては幕府の名残があるものは取り壊わされてしまう時代であったのでしょうがないですね。
元々はしっかりとした平城だったようですが開発と公園化によって遺構は極めてわかりづらいです。堀っぽい池だの枡形門の石垣石のほか矢穴の開いた石も見られますがどこまでが本物なのやら。なお公園内には高山右近の像が立っています。
城郭は完全に破壊されていて、ただの城址公園である。模擬天守台の石垣があるが、再現されている場所が全く違う。しかし、外濠跡は辛うじて分かる箇所がある。現在高校が建つ場所が本丸であるが、激しく削平されており、標高が永井神社界隈よりも低くなっている。本丸の石垣も昭和中期までは残っていたが、壕と共に埋められた様だ。二ノ丸は、現在駐車場になっている。最終的な高槻城の規模は、約南北に630m×東西に600mが推定される。建造物としては、城内の建造物を移築したものとして、城下寺町の本行寺門および永井神社唐門が現存する。また、田部にある民家の蔵が、城内の建造物を移築したものであるとの伝承がある。
名前 |
高槻城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-674-7652 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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しろあと歴史館に駐車場あります高槻城は西国街道、淀川など交通の要所にある平城です遺構は廃城後、市街地となりあまりありませんが、点在する遺構を繋ぎ合わせながら歩いてしろあと歴史館に行くとすごく魅力を感じれます。