調布市・歴史探訪、近藤勇の生家。
東京都下は調布市に有ります「近藤勇生家跡」です。こんな所に近藤勇の生家が有ったんですね。土方歳三に縁の地が日野の方なので、近藤勇ももう少し東京の西の方かと思ってました。近藤勇については説明は要らないですが…簡単に。近藤勇は、幕末の動乱に駆け足で人生を全うした武士ですね。元々は農民の出ですが、武家に養子に入り、最後の将軍•徳川慶喜に取り立てられた新撰組局長ですね。新撰組は京の都で不穏な動きをする尊王攘夷派を取り締まる為に結成されました。(徳川幕府側•佐幕派という事になりますね)京都では「御用改めである」と言う決まり文句を告て現場に突入し、沢山の尊王攘夷派を愛用の刀「虎徹」で切り捨てました。尊王攘夷派からは恐れられた存在です。しかしながら…徳川幕府vs薩長同盟の戦いの形勢は徐々に逆転し、近藤勇は最後は薩長連合軍に松戸辺りで捕縛され、板橋の刑場で斬首されています。こちらはまだ武士として取り立てられる前の農家時代、近藤勇が生まれ育った屋敷跡地との事です。「近藤」という名字は、近藤家という武家に養子入ってからの名前です。元々は「宮川家」という名字の、比較的裕福な中流の豪農との事です。そして当時「天然理心流」という剣の道場を営む近藤家に勇は養子として入りました。因みに道路を挟んだ向い側に天然理心流の道場跡地が有ります。合わせて見学してみましょう。こちらの天然理心流道場跡は、近藤勇の一人娘に婿養子として入った、五代目天然理心流当主(勇の長兄の二男)が明治時代に開いた道場との事です。勇は天然理心流当主の四代目です。もう一つ因みに、板橋で斬首された近藤勇の首の無い亡き骸を、こちら宮川家の人間が勇の肩の銃撃傷を頼りに掘り起こして見つけ出し、この場所からすぐの現•三鷹市に有る「龍源寺」に持ち帰り埋葬したとの事です。龍源寺には近藤勇の墓所が有ります。こちら近藤勇生家跡は、今は何も無いシンプルな史跡です。まぁ…こちらも歴史ヲタク向けの史跡ですね。歴史ヲタクの人間は…何も無くても往時を頭の中で想像して楽しめますからね。自分もその一人ですよ(笑)。あっ…一つだけ残っているのが、近藤勇が生まれた時に産湯として使ったという井戸が有りましたよ。何かこの辺りに所用が有る方は、是非にブラリと訪れてみて下さい。感慨深いです。
名前 |
近藤勇生家跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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新選組局長 近藤勇の生家跡です。戦時中には取り壊されたそうで、近藤勇が産湯を使った井戸跡が残っているだけですが、龍源寺の近藤勇のお墓参りの後に、思わず寄ってしまいました。最近、跡地を整備するために一時的に閉鎖されていましたが、今年(2025)の3月から再度公開されています。この跡地から、道を挟んで反対側にある「近藤道場撥雲館」が見えます。近藤勇がここで生まれて、近くの道場で剣の腕を磨いたと思うと、小さな空き地が近藤勇、新選組の始めの場所なんだと感じることができます。