平安時代の不動明王に参拝。
清涼寺の特徴
平安時代に建立された歴史ある仏教寺院です。
豊島八十八ヶ所霊場の第51番札所として知られています。
不動明王の御朱印が頂けるのが魅力です。
東京都板橋区赤塚にある真言宗智山派は清涼寺の直書き御朱印を頂きに参拝しました。豊島八十八ヶ所霊場の札所寺となっています。創建年代は、一時無住の時期があったこともあり不明とのこと。ただ開山とされる宥長が1019年(寛仁3年)寂とされることや、1017年(寛仁元年)寂である良久の板橋区最古の墓碑があることから11世紀初頭には創建されていた可能性がある。またこの赤塚には光が丘から延びてきた鎌倉街道が通り、下総守護の千葉氏が市川から逃れてきた際に移り住んだ赤塚城の城址も寺近くにあるなど、歴史的にはかなり古い地であったりします。明治の神仏分離令以前は、赤塚氷川神社(書置き御朱印あり)の別当寺であったそうです。御朱印は本堂向かって右手の寺務所兼住職宅で頂くことが出来ます。最寄り駅は都営地下鉄三田線の終点・西高島平駅か、東武東上線の成増駅、東京メトロ副都心線・有楽町線の地下鉄成増駅となりますが、どちらの駅からも少し歩きます。
不動明王さまぁ〜。
良いですね❗
平安時代に建立されたとされ、山号の石成山は、成増の旧名。奈良〜平安時代頃は、このあたりは赤塚村の石成集落だったそうです。赤塚村は記録によると村の全域に1000戸にも満たない寒村(寂れた村)だったそうですが、平安時代あたりに石成集落が分村して石成村になったそうだ。ふつうなら、分村した場所も石成村になるはずで、石成が成増の前身である以上はここも成増になってるはずなのだが、赤塚4丁目になってるのは、その集落の人達が場所を移ったのではなかろうか?赤塚村が寒村である以上、村民の多くが白子村に生活用品などを依存していたそうで、石成村の人達は白子村に近い場所に移ったと考えられるんです。大昔の集落は血縁の一族(氏族とも言う)によって形成されており、一族の長は神に等しい存在だったので、長が移転を決行したのかもしれない。石成村は明治時代の明治の大合併のときに、上白子村の一部との合併により成増になった。 補足すると、古代の信仰は一族の始祖(大元となる先祖)を一族の守り神として祀り、それを氏神や祖神と呼んだ。始祖を神としたことから、始祖の直系(いわゆる本家)の子孫を氏上(うじのかみ)と呼び神の子孫とされ、傍系(分家)は氏人や氏子と呼ばれてたそうです。もう一つ補足すると、明治の大合併は多すぎる郡を減らすのが目的で、上白子村は役場が浦和にある北足立郡への編入を嫌い、比較的に役場の近い北豊島郡への編入を目指したものであり、石成と合併してもお互い生活圏での交流は行なっておらず、そのため成増駅のあたりが村堺になってたようだ。
真言宗智山派のお寺。豊島八十八ヶ所の札所です。
不動明王の御朱印を頂きました🙇
御朱印あり♪豊島八十八ヶ所霊場・第51番札所。
2016/12/3拝受 豊島八十八ヶ所霊場第51番札所。明治維新の後に初等教育の場となり本堂が明治10年には仮校舎として石成小学校が発足した。現在の板橋区立赤塚小学校。豊島八十八ヶ所霊場第51番札所青涼寺の御朱印(不動明王)を頂きました!
| 名前 |
清涼寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3930-0326 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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きれいに整備されているお寺です。