赤塚城跡で楽しむ梅と桜。
赤塚城跡の特徴
梅の花と桜が美しく季節ごとに楽しめる公園です。
東武赤塚駅からの散歩道で登城気分を味わえます。
武蔵千葉氏の居城跡として歴史を感じる特別な場所です。
広くて静かな雰囲気です。犬は放し飼い禁止ですが、普通に散歩なら可能なようでした。
夏真盛り、好きな方の此花ありここ迄も 狐の剃刀 増やした乎一群といえ 指をりかぞへココマデモ キツネノカミソリ フヤシタカヒトムラトイエ ユビオリカゾエ「五 六 七 八。」八本もあるヨ…城跡の 孫が鮒つる みみず掘る林に見しキツネノカミソリシロアトノ マゴガフナツル ミミズホルハヤシニミシ キツネノカミソリ「ミミズは採れなかったがヌマエビで、孫はしっかりギンブナ釣りました。」10月末、やっと秋の実を探しまだ青い も少し熟れてと採らざりし。次きても無し(梨)柿も栗もかマダアオイ モスコシウレテト トラザリシツギキテモナシ カキモクリモカ額田王冬ごもり春去り来れば 鳴かざりし鳥も来鳴きぬ 咲かざりし花も咲けれど……烏瓜なら朱くなる秋と見し黄烏瓜はまだ『檸檬』青しカラスウリ ナラアカクナルトキトミシキカラスウリハマダレモンアオシ(赤黄青で信号だ。)あつあつとなげくばかりぞおいのみはあきの気色は実生りにこそしる「暑々、」と 歎く許りぞ 老いの身は秋の気色は 実生にこそ知る『スーパーでは果物高いのにびっくり、山は荒れてクマは仕方なく出来る。近くに実生りはあるけど、喰えんしなぁ』(……そこし恨めし秋山われは 額田王)散歩道の階段、🐻出没報道頻りダガココラハ団栗のくらう熊なくふみつぶす虚しくも散る人あるくだけ誰か採るキカラスウリは何か味する筈も無し採る筈も無し乂られちゃった、黄色くなる前に東京大雪(降って4日、)雪だるま 枯れ葉まぶして 崩れ居りユキダルマ カレハマブシテ クズレヲリ(2日目、)雪細く 積む竿の上 10㎝ユキホソク ツムサオノウエ 10センチ(1日目、)冷た雨 間もなし牡丹 雪しきりヒエタアメ マモナシボタン ユキシキリまた暖かめの冬に、雪は噓みたいに、梅は散りぢりに、(雪を詠む、万葉に、)吾背子を今か今かと出で見れば沫雪降れり庭も斑に足引の山に白きはわが屋戸に昨日の夕降りし雪かも『足引 山尓白者 我屋戸尓 昨日暮 零之雪疑意』アシヒキノ ヤマニシロキハ ワガヤトニ キノフノユウベ フリシユキカモ(一週過ぎ、)遠くある山には白く斑雪 町には消えて跡かたもなしトオクアルヤマニハシロクハダレユキ マチニハキエテアトカタモナシ
板橋区赤塚にあった赤塚城跡。1456年、市川城から移った千葉自胤(ちばよりたね)によって築城されたと伝えられています。しかし、それよりずっと以前に源頼朝が立ち寄ったとも言われており、正確な築城年は不明です。赤塚城の千葉氏は1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城となりました。現在は都市公園として整備されており、市民の憩いの場となっています。かつての城の名残はありません。
冬の好く晴れた日に伺いました。本丸跡に簡単な説明がありますけど、遺構は確認しずらいです。楓が陽を受けて綺麗でありました。
東武赤塚駅から約20分の歩きで登城できます。住宅街の中の緑のオアシスの様子、公園化されていて、美術館、梅林、溜池と呼ばれる大きな池があります。郭がしっかり残る、古城の雰囲気を感じることができる所でした。
戦国時代、千葉氏の居城のあった場所。平山城。桜の季節に来たい。すぐそばに梅林もあります。
赤塚城の本城跡地として公園の広場に石碑と案内板が立ってます。豊臣氏に滅亡されるまで、この跡地に大きな城が存在したようです。ただ、まだ当時の城の内部や構造が解明されてない部分もあるようで、今に至ります。
3/9。入口の梅は見頃でした。もうすぐ満開です。下の溜池公園は子供達でいっぱいでしたがここは静かに過ごせるのでのんびり一杯とかしたくなります。
下総千葉氏の分家武蔵千葉氏の居城。周辺は谷が入り組んでいて確かに守るに良さげな立地。しかし武蔵千葉氏が小田原落城まで存続していたとは意外だった。ここへの登り口は赤塚溜池からか少し南のセブンイレブン横の階段から。
名前 |
赤塚城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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桜の咲く季節と梅桜(本丸城址)の季節に来るのが、お勧めな感じの城址です。豊島一族 赤塚氏から~、 小田原 北条一族に従軍、その後、豊臣秀吉に滅ばされ、最後は廃城となってます。本丸城址の石碑が、広々とした広場に打ち込まれているのが印象的……