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昔ここに羅漢像500体ある羅漢寺があったそうです。さぞや壮大な光景だったのでしょう。羅漢寺としては、羅漢寺は、元禄八年(一六九五)に松雲元慶禅師により創建されました。松雲は、貞享四年(一六八七)に江戸へ出て、元禄四年(一六九一)から羅漢像を彫り始めました。元禄八年、五代将軍徳川綱吉から一五〇〇年余の土地を賜り、寺院が建立され、羅漢堂には羅漢像など五三六体が安置されました。次いで享保一九年(一七三四)には、八代将軍徳川吉宗から隣接する四五〇〇坪の土地を下賜され、合わせて六〇〇〇年余になりました。安九年(一七八〇)に建てられた三西堂は、一方通行の通路が二重らせん状に三階まで続いていました。三正堂の下層に秩父三四ヶ所、中層に板東三三ヶ所、上層に西国三三ヶ所の計百番札所観音像が安置されていました。また三西堂は、その形状がサザエのようであることから「さざゐ堂」と呼ばれ、三階からの眺めが良く、多くの参詣者を集めた江戸名所のひとつでした。なお三正堂は明治八年(一八七五)に取り壊されています。一方で区内には、羅漢寺への道筋を示す道標が二基現存しています(道標二基はいずれも有形民俗文化財、区指定文化財一基・登録文化財一基)。その後、羅漢寺は明治二〇年(一八八七)に本所緑町(墨田区)へ移り、さらに同四一九不羅漢の堂「名所江戸百景 五百羅漢さいお堂」歌川広重画年(一九〇八)には現在地(目黒区下目黒)照へ移転しました。