新宿四丁目で出会う旭地蔵の歴史。
旭地蔵の特徴
旭地蔵は昭和60年に指定された文化財です。
玉川上水で心中した男女を供養する地蔵尊です。
成覚寺の境内に安置されている歴史的な場所です。
成覚寺の境内に安置されている旭地蔵は、玉川上水で心中した男女らを供養する地蔵尊で明治12年(1879年)まで玉川上水北岸の旭町(現:新宿四丁目)に安置されていたことに由来する。足元の台座には男女の戒名が刻まれており、そのうち男女が対になったものが7組あるまたこの地蔵にお参りすると子どもの夜泣きが治まるとされることから、夜泣地蔵とも呼ばれている。明治12年(1879)7月道路拡張に伴い現在の地に移設された。
案内板によれば新宿区指定有形文化財(歴史資料)旭地蔵(あさひぞう)指定年月日 昭和六十年八月二日元は、旭町(現在の新宿四丁目)にあったため旭地蔵と呼ばれる。玉川上水に入水し亡くなった人を供養するため、寛政十二年(一八〇〇)七月、上水の北岸に内新宿の宿場の人々により建立された。地蔵事は、「三界万」とまれた事度に座し、右手に、左手に割菜を持つ。筆座の下には地蔵尊建立後に加えられた円筒状の台石があり、十八名の戒名がまれている。十八名は、寛政十二年から文化十年(一八一三)の間に内藤新宿で不慮の死を遂げた人たちで、このうちの七組の男女は道ならぬ仲を悲しんで玉川上水で心中した遊女と客であると推定されている。旭地蔵は、明治十二年(一八七九)の道路拡幅に伴い成覚寺に移されたもので、横に建つ旭地蔵移転記念理には、焼中・茶屋中・芸妓中など多数の人名が刻まれ、この地蔵尊に対する信仰の厚さを物語っている。令和五年十一月三十日新宿区教育委員会。
案内板によれば新宿区指定有形文化財(歴史資料)旭地蔵(あさひぞう)指定年月日 昭和六十年八月二日元は、旭町(現在の新宿四丁目)にあったため旭地蔵と呼ばれる。玉川上水に入水し亡くなった人を供養するため、寛政十二年(一八〇〇)七月、上水の北岸に内新宿の宿場の人々により建立された。地蔵事は、「三界万」とまれた事度に座し、右手に、左手に割菜を持つ。筆座の下には地蔵尊建立後に加えられた円筒状の台石があり、十八名の戒名がまれている。十八名は、寛政十二年から文化十年(一八一三)の間に内藤新宿で不慮の死を遂げた人たちで、このうちの七組の男女は道ならぬ仲を悲しんで玉川上水で心中した遊女と客であると推定されている。旭地蔵は、明治十二年(一八七九)の道路拡幅に伴い成覚寺に移されたもので、横に建つ旭地蔵移転記念理には、焼中・茶屋中・芸妓中など多数の人名が刻まれ、この地蔵尊に対する信仰の厚さを物語っている。令和五年十一月三十日新宿区教育委員会。
| 名前 |
旭地蔵 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2025年10月ウオーキング協会の例会の際、おまいりしました。玉川上水の入水心中者を供養するお地蔵さまです。🙏私は東京都ウオーキング協会(TWA)の会員です。TWAの例会で街歩きをしています。その際にいいなあと思った場所をスマホで撮影していましたが、グーグルマップにも投稿しようと思い立ちました。懐かしい場所を久しぶりに訪れてみると変わっていた!、ということに新鮮な感動があったりします。この思いを皆さんと共有できたらと願っています。