江古田公園で歴史を感じる!
江古田古戦場の碑の特徴
江古田公園内に位置し、太田道灌と豊島泰経の激戦の地です。
歴史を感じる堂々たる筆致の石碑が立っています。
新江古田駅から散歩途中に訪れやすい憩いの場となっています。
ここ太田道灌と豊島泰経の激戦があった場所で近隣にも関連する施設がたくさんあります。
中野区の歴史を感じさせる場所です。掘れば歴史的な遺構が出てきそうな雰囲気があります。今は広場になっており、自転車で子どもをのせて、よく遊んでいました。遊具は申し訳程度に一つあるだけです。
堂々たる筆致の石碑です。
江古田公園の片隅にある石碑。1400年代半ば、この地は太田道灌と豊島氏が永きに渡り合戦をしたと記されている。
新青梅街道沿いの古戦場跡室町時代。今は公園風になっている。
江古田古戦場の碑石には、昔の方々が石には、刻まれております。まぁ、妙正寺川添えの公園ですが、銀杏の木が有り、銀杏が良く、取れますね〜!余り、遊具が無く、広い公園ですね。椅子が、川に向かって、有り、川の流れなどを、観ながら休憩したり致します。
碑石だけが、公園横の茂みにひっそりたたずんでいます。
ここにある説明板には多少の誤りがある気がします。室町時代に京の将軍家の直系が途絶え、そのため幕府の重臣らは足利氏の分家から将軍を選んだが、分家の一つである鎌倉公方は選ばれなかったことに不満を持ち幕府と敵対したそうです。(鎌倉公方は、今の関東地方と山梨県・長野県あたりを幕府に成り代わり統治する役職)鎌倉公方の補佐役として関東管領がいたが、関東管領は上杉氏が幕府から与えられた役職であり、上司である鎌倉公方が幕府に敵対した以上、関東管領は幕府の役職を守る立場上鎌倉公方に敵対することになった。豊島泰経は鎌倉公方に味方したそうで、上杉氏と戦うことになったらしく、上杉氏の家宰・太田道灌に敗れるんですよね。(家宰とは執事の事だが、主人に成り代わり矢面に立つため、場合によっては主人より立場が重くなる。鎌倉時代の北条氏も執事だが、将軍より立場が上でしょう)
歴史を感じるよね❗
名前 |
江古田古戦場の碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.4 |
周辺のオススメ

文明9(1477)年、太田道灌公と豊島泰経公が激突した古戦場は江古田公園内にある。