歴史と癒しの策の池。
津の守弁財天の特徴
坂や階段を進むと閑静な住宅街にひっそりと佇むお社です。
徳川家康がムチを洗った池の畔にある、歴史を感じる場所です。
荒木町の奥には桜の美しい神社で、心癒される空気感があります。
普通に感じのよい弁財天でした!歴史はあるようで!行くまでにちょっと不安にはなります。坂多し。
ふらふらと手前にあった金丸稲荷神社から歩いてきました。荒木町奥の細道と書いてあって、先に弁財天様!?という感じです巴歳産まれとしては見逃せないなにやら徳川家康が鷹狩のさいに策を横にある池で洗ったとか。隠れパワースポットか?その池を眺めていると亀やら鯉やらが沢山いました。…!?まさかのスッポンも!!?え?天然で?そんなことあるんですね笑野生のスッポンって存在してるんですね、しかもこんな新宿のど真ん中に。なんかいいもん見れた気がするなー好きになりました。
金丸稲荷神社にある案内立て札に従って細道を進むと突き当りに廃業した料亭「千葉」の御門があるので、その前の右に入っていく階段坂を道なりに下りるとすぐに津の守弁財天があります。池のほとりの岩の上に、弁財天様が鎮座しています。祠も境内も手入れがされていてきれいです。こちらは宗教法人解脱会の所有とのことで、説明板にも解脱会の名があります。『ザ!鉄腕!DASH!!』のカイボリでちょっとした話題になった池があります。策の池です。説明板によれば、江戸時代にはこの辺り一帯が美濃国高須藩主松平家の上屋敷で、屋敷内の池泉回遊式庭園には、湧水や玉川上水から取水した大池や滝があったそうです。当地には徳川家康(1543~1616)が鷹狩りの帰途、泉水で策を洗ったという「策の井」伝承があることから「策の池」と呼ばれ、現在残っている池はその一部だそうです。暗い時間だったので、撮影するには暗かったようですが鯉らしき姿は見えました。
策の池のほとりに鎮座する弁財天さま。創建の年代は不明ですが、古来より策の池のほとりに、弁天祠があったそうです。策の池は、徳川家康が鷹狩りの際に井戸水で策(むち)を洗い、その澄んだ水が滝となりこの池に注いでいたので、策の池と呼ばれるようになり、人々に親しまれていたそうです。江戸時代の中期には、美濃国高須藩の藩主である松平摂津守が、この辺り一帯を拝領し上屋敷としたため、庶民からは遠のきますが、明治になり荒木町として住民が立ち入れるようになると、再び親しまれるようになります。社名の「津の守(つのかみ)」は、かつて上屋敷のあった藩主である摂津守に由来しています。昭和31年に、現在の地に遷座し再建されています。
窪地の底にあることを実感する住宅に囲まれた神社。池にはスッポンもいました。
都会の中にひっそりと。新宿通りから凹の底へ向かって行くとその底部分にあたります。静かでここだけ別世界のようです。
徳川家康がこの池で乗馬用のムチを洗っていた事から『策(むち)の池』と呼ばれる池の畔にこちらの「津の守弁財天」が祀られています😊津の守(つのかみ)というのは言うまでもなく「松平摂津守」から来ている名称だそうで、荒木町東側にも『津の守坂』という名前の坂も残っていますよ👍
桜の時期も良いです。すっぽんもいます。
地域をしっかりと護ってくださっている弁天様が祀られているので空気感が異なり、癒されます。
名前 |
津の守弁財天 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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携帯のナビ通りに進んでいるのにそれっぽい景色にならない…本当ここにあるのだろうか……と、疑う心を抑えながら坂や階段を進んだ先の閑静な住宅街の中にある小さなお社です。こちらはお手水の石鉢はあるのですが雨水や苔で濁っているのでご挨拶前の清めは「洗ったつもり」か携帯用消毒液、ウエットティッシュ、もしくは塗香などで行うのがよいでしょう。お供え物を収める棚などはない&即日回収されるか判らないので、お詣りを終えたら後の方の為にお供え物は回収して帰りましょうね。池の岩が動いた!思ったらものすごく大きな鼈が現れてびっくりしました。これがヌシか…他にも亀や鯉がいますが水辺なので夏場は虫除けスプレーしてから来るとよいと思います。