浮世絵描く神田川の懸樋跡。
水道橋の特徴
明治初期の写真に残る掛樋跡が魅力です。
浮世絵を描いたステンレスの案内板が目を引きます。
江戸時代の歴史遺産が感じられる特別な場所です。
水道橋駅の目の前にあり千代田区と文京区の間を流れる神田川に掛かる橋です。歴史的な橋ですが現在は特出するようなものは感じない。
千代田区神田三崎町・文京区本郷。この橋がいつ架けられたのかは定かではありませんが、江戸時代からある橋で、近隣にあった吉祥寺にちなんで、吉祥寺橋と呼ばれていましたが、吉祥寺が駒込に移転すると元吉祥寺橋となり、神田上水の樋が完成すると水道橋と呼ばれるようになったと言われています。現在の橋は1988年に改築されたもので、近隣にはJR・都営地下鉄の水道橋駅や東京ドームがあります。
浮世絵や、明治初期の写真にも残る掛樋跡です。その美しさから是非来たいと思っていました。今は石碑だけですが、浮世絵や写真の景色を想像することができます。木製の木樋や石製の石樋が使われ、水道橋と水道橋駅の由来になりました。
2025年4月21日 訪問水は流れていませんでした。いつから止まってしまったのでしょうか。JR水道橋駅周辺で唯一歩いたことがない方面だったので、人通り少ない坂道、総武線の電車を見ながら歩きました。神田川はとても臭いです。
立派な石の碑と浮世絵も描かれたステンレスの案内板があります。江戸を開いて用水路として水道を開いたことを偲びつつ神田川(外堀)と総武線を眺めるのも良いかと思います。
江戸時代、この辺りには神田上水が神田川を越えるために設けた懸樋があったそうです。1658年~1661年(万治年間)に架け替えられ、俗に万年樋と呼ばれたとのこと。神田上水は、江戸で最も早く整備された上水といわれ、1596年~1615年(慶長年間)に整備に着手したといいます。井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源とし、現在の文京区関口あたりに堰が設けられ、小日向台から小石川後楽園を通り水道橋の下流に達しました。懸樋によって神田川を越えた上水は、この辺りから暗渠(埋樋)となり、南は京橋川、東は永代橋より大川(現在の隅田川)以西、北は神田川、西は大手町から一橋門外まで供給されました。なお、関口で神田上水から分水した余水は河川となり、牛込門外(現在の飯田橋)までは「江戸川」、牛込門外から下流は「神田川」と呼ばれました。
千代田区には、江戸時代の生活を支えた重要な歴史遺産が残っています。それが、神田上水懸樋です。神田上水は、井の頭や善福寺などから引かれた水を江戸市中に供給する大規模な水道施設でした。神田上水懸樋は、その水路が神田川の上を渡る際に作られた橋のような構造物です。木製の樋が架けられ、その上を水が流れ、江戸の町へ命の水を運んでいました。この懸樋は、江戸時代の人々の生活を支える上で欠かせない存在でした。現在は、当時の姿をとどめるものは残っていませんが、その跡地には史跡碑が建てられ、江戸時代の水道の技術の高さを物語っています。その水道があったことから近くにある駅は、水道橋と言われています。
| 名前 |
水道橋 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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昭和3年関東大震災の復興事業の一環として、鋼製のアーチデザインの桁橋が架けられましたが、白山通りの拡張に伴って昭和63年に現在の橋、全長24.9m、全幅50.2m鋼製桁橋となりました、この橋の上流右岸に中央・総武緩行線の水道橋駅があります。