武蔵野中央公園の歴史、航空機工場の名残。
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戦前は武蔵境駅から中島飛行機武蔵製作所まで電車の引き込み線がありました。その跡地は今でも電車が通っていたと思わせます。
名前 |
中島飛行機武蔵製作所 工場引き込み線橋台跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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現武蔵野中央公園及びその周辺一帯には、嘗て世界有数の航空機エンジン工場があった。中島飛行機武蔵製作所である。WW2の一時期には最大45000-50000名の動員学徒含む従業員が2-3交代の24時間体制で零式艦上戦闘機や紫電改、疾風などの軍用機エンジンを生産していた。ために1944-1945年にかけ工場一帯は9回もの空爆を受け従業員・学徒200名以上の方が亡くなった(周辺住民は含まれず)。その工場へは、武蔵境駅から専用引込線が敷設され、現在は遊歩道として残っている。その一部がこの「ぎんなん橋」。橋上のレールは当時のものではないが、橋下には当時のコンクリート製橋台が残されている。新橋新設の際に見つかり、引込線唯一の遺構として重要であるとし残される事となったと言う。