小石川後楽園の静寂に佇む。
小石川後楽園のパンフレットにも載っていない施設です。1702年に水戸徳川家中屋敷(明暦の大火以降は上屋敷)邸内の後楽園の錦春門内の台地に兜を埋めて大神を祀り、1803年に11代将軍の姫が水戸家9代斉脩に輿入れする際に守護神として祀られた。1871年に小石川後楽園は兵部省造兵司(のちの陸軍省東京砲兵工廠)となり1923年の関東大震災で被害を受けたが、錦春稲荷神社は被害を免れた。1933年に東京砲兵工廠は小倉城跡に移転し小倉陸軍造兵廠となり、社の御神体、鳥居などは原型のまま運ばれた。1945年3月に戦局の悪化により小倉陸軍造兵廠は大分県日田に疎開し、社の御神体も移転した。現在、小倉の錦春稲荷神社の分祀は到津八幡神社の境内社として祀られており(1945年9月から)、日田では大原八幡宮境内社の錦春稲荷大明神として祀られている。小石川後楽園内の錦春稲荷神社は1933年以降どのような状況にあるのか分かりません。
名前 |
錦春稲荷神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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錦春稲荷神社は、小石川後楽園の静寂の中に佇む、歴史ある稲荷社です。その起源は江戸時代、水戸徳川家の上屋敷内に遡ります。藩邸の鎮守として祀られ、歴代藩主からの崇敬が篤かったと伝えられています。御祭神は一般的に宇迦之御魂大神と考えられ、五穀豊穣をはじめ、商売繁盛や家内安全など、人々の暮らしを守る神様として信仰を集めてきました。明治維新後、水戸藩邸の変遷とともに錦春稲荷神社も場所を移り変わっており、現在小石川後楽園内に鎮座しているのは分祀されたものと考えられています。