勝海舟が過ごした赤坂の地。
勝海舟邸跡の特徴
勝海舟が安政6年から明治元年まで住んでいた場所です。
赤坂駅から徒歩10分、ひっそりとした屋敷跡の石碑があります。
周囲には氷川神社や勝海舟の足跡を巡るスポットが点在しています。
敬愛する勝海舟先生の屋敷跡です☺️ちょっと歩いたところにも屋敷跡の石碑があったからこの辺一帯が勝先生のお屋敷やったんやな。
2024年8月12日に訪れました。安政6年1859年から明治元年1868年まで、勝海舟が住んでいた邸宅跡です。その後、徳川慶喜にお供して、江戸を離れました。跡地には、区立氷川小学校が建っていましたが、平成5年1993年に閉校しています。
以前からTVで知っている場所でしたが、行く事はないか、、と思っていたら、数年後、偶然通りかかりました。氷川神社から氷川坂を下ってきたら角に見たことある建物!特に、何もありませんが思いを馳せるには良い場所です。
勝海舟さんが安政6年(1859年)から明治元年(1868年)にこの赤坂本氷川坂下の地に自宅を置きました。日本が激動した時期。
omoの朝街歩きツアーで紹介。ここで勝海舟と竜馬が出会いを果たしと思うと胸熱ですね。
石碑のみで気をつけていないと通り過ぎてしまいます。
勝海舟邸あとです。碑のみで建物の面影はありませんが六本木にも近く、東京ミッドタウンから数分の場所であるにも関わらず、静かな住宅街の一角であることや、起伏のある地理が江戸当時を偲ばせます。
道路に記念碑と説明があります。当時の写真とかあったら分かりやすいと思いました。
赤坂駅から徒歩で10分程度要す。標識によると、ここは幕臣・勝海舟の旧宅跡で1859年から明治元年(1868年)までをこの地で過ごしたとか。勝海舟の一番の功績は「江戸城の無血開城」では無いでしょうか。官軍の大将、西郷隆盛との池上本門寺会談で江戸の戦火を防ぎました。勝海舟は道中に寄った洗足池の風景が気に入ったらしく、別荘を建て、遺言により夫婦の墓所も有る。
名前 |
勝海舟邸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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わかりにくいところにひっそりと立つ標榜があります。勝海舟は赤坂の地を愛しておりました。