武田信春館で歴史探訪。
甲州市には竹武家に纏わる歴史文化が多すぎる。甲斐武田家第12代当主、武田家9代の武田信春の館跡が墓所に碑が建てられています。武田信春は南北朝時代に、祖父の安芸国守護の信武・父信成と共に足利尊氏の北朝方に属して南朝方と戦ったとされています。武田宗家の歴史の中で、この信武、信成、信春の時代が比較的安定した時代だったと伝えられている。信春も青梅街道沿いの塩山千野郷に館を構え武田信春は、晩年の応永20年(1414)2月の乱により館が陥落したために、信春は萩原山中に逃れて柳沢に山城を築いて居住した。同年10月23日に柳沢で死去したと伝わる。そして信満が遺命によって館に寺を建立して慈徳庵と名付けたとされる。
名前 |
武田信春館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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武田信春館は、甲斐守護武田氏12代信春の居館で、千野館とも呼ばれる。甲斐武田氏は代々石和周辺に守護館を構えていたが、信春が跡を継ぐと千野に居館を移した。館跡の遺構は残っていないが、慈徳院の参道脇には居館跡を示す石碑が建っており、慈徳院の墓地には信春の宝篋印塔があり彼はそこで静かに眠っています。