江戸中に名医の碑、尾台榕堂。
尾台榕堂之碑の特徴
漢方医尾台榕堂の記念碑は重要な史跡です。
八重洲ダイビル横に位置しアクセスが非常に便利です。
江戸末期の漢方の大家と称される名医の足跡を感じられます。
幕末に活躍された漢方医さんです。八重洲通りの近くにあって、東京駅八重洲口からだいたい徒歩5分ぐらいのところにあります。こういう方がいたんだなあと歴史を感じました。銅像は診察中の様子のようなイメージで作れらているようでした。その銅像の下に説明などが書かれています。
変わった銅像。
漢方の名医 尾台榕堂之の像。
漢方の名医幕末に活躍。
漢方の名医幕末に活躍。
漢方の名医「尾台榕堂」の記念碑。尾台を囲む子供達の表情が愛らしい。
八重洲ダイビル横の歩道にあります。表情が柔らかで、人柄がしのばれます。
碑の説明には『尾台榕堂(1799~1870)は幕末に活躍した寛保の名医。越後魚沼郡中条村(現在新潟県十日町市中中条)の医師小杉家に出生。名は元逸、字は士超、通称は良作、号は榕堂また敲雲。16歳で江戸に出、尾台浅岳に医学を、亀田綾瀬に儒学を学ぶ。36歳で師浅岳の家を継いで尾台姓を称し、65歳のとき将軍徳川家茂に単独拝謁。この地(北槇町)に居住して医療活動を行い、当代屈指の名医として世に謳われた。著書は類聚方広義・方伎雑誌ほか多数あり、現代医療の一班を担う日本漢方医学の基盤を築いた。撰文 小曽戸 洋建立 平成23年10月29日(社)日本東洋医学会(財)日本漢方医学研究所東亜医学協会(社)日本医史学会温知会東京十日町会十日町市 』と書かれています。
尾台榕堂之碑〒103-0028 東京都中央区八重洲2丁目1-6八重洲通りからちょっとった柳通り「尾台榕堂之碑」が建てられています。患者を診療している尾台榕堂と調剤している女性の像が記念碑となっています。最初に口コミをアップしたときは、道路をはさんで向かいは、ビル工事中でした。現在は、尾台榕堂之碑のある側は工事中ですが、反対側に石川県のアンテナショップ「八重洲いしかわテラス」が2024年3月9日オープンしました。前を通る人に見向かれることも少ない記念碑ですが、江戸時代後期の名医だったようです。尾台榕堂がどういう人だったかは、碑文を文字起こしたので、そちらをみていただきたいと思います。●尾崎榕堂之碑尾台榕堂(1799~1870)は幕末に活躍した漢方の名医。越後魚沼郡中条村(現在新潟県十日町市中条)の医師小杉家に出生。名は元逸、字は士超、通称は良作、写は容堂また敲雲。十六歳で江戸に出、尾台浅岳に医学を、亀田綾瀬に儒学を学ぶ。三十六歳で師浅岳の家を継いで尾台姓を称し、六十五歳のとき将軍徳川家茂に単独拝謁。この地(北横町)に居住して医療活動を行い、当代屈指の名医として世に謳われた。著書は類聚方広義・方伎雑誌ほか多数あり、現代医療の一班を 担う日本漢方医学の基盤を築いた。撰文 小曽戸 洋建立 平成二十三年十月二十九日(社)日本東洋医学会(財)日本漢方医学研究所東亜医学協会(社)日本医史学会温知会東京十日町会十日町市<参考>日本大百科全書(小学館)より引用尾台榕堂(1799-1870)江戸後期の漢方医。名は元逸、字(あざな)は士超、榕堂は号。越後(えちご)国中条(新潟県十日町市中条)に、医師小杉三鼎の四男として生まれる。ゆえあって、信州小田井出身で江戸日本橋の医師であり師でもあった尾台浅嶽の家督を継ぎ、尾台良作と名のった。「都下ニ医ヲ善クスルヲ以(もっ)テ名ヲアラハス者二人有リ、一ハ尾台榕堂トイヒ、一ハ浅田識此トイフ」といわれたほどの名医であった。著書に『類聚方(るいじゅうほう)広義』『方伎雑誌』ほか多数がある。墓所は東京都台東(たいとう)区谷中(やなか)の観音寺。
| 名前 |
尾台榕堂之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「幕末期に名医として江戸中に知られた人物、自身が書いた書物は現代漢方医学においても必読と呼ばれるほど。」尾台榕堂(おだいようどう 1799~1870)先生は新潟県十日町市(当時は越後中条下町)で医者の家に生まれ当時の名前は小杉四郎治(こすぎしろうじ)でした。江戸に出て漢方医である岑小翁(しん しょうおう 1732~1818)先生や尾台浅嶽(おだい せんがく、1771~1834)先生の元で漢方医学を学んだ後に故郷の越後へと帰りましたが1834年に尾台浅嶽先生が火事で亡くなってしまった後に再び江戸へ戻り尾台家を引き継ぎ尾台榕堂と名乗るようになりました。お医者様としての腕はさることながら例え貧しい人治療代の払えない人であっても常に親切に尽くしてくれたことからたちまち江戸中の評判となってその声は幕府にも響きかの14代将軍徳川家茂(1846~1866)も自身の御典医(ごてんい・主治医の事)になってくれるよう誘われましたが「将軍様も一般の人たちも分け隔てなく私は診たいです。」と要望しそれを認められ江戸の人たちを診るかたわら将軍の容態をも診るようになりました。また漢方医学の研究書も多数執筆しており、特に「類聚方広義(るいじゅうほうこうぎ)」は現代において漢方医学を志すものならば避けては通れないほどの必読書であるそうです。この碑は尾台先生の功績をたたえて尾台先生の故郷である新潟県十日町市が2010年に尾台先生の開業していた医院跡であるこの場所に建てたそうです。