松尾芭蕉ゆかりの神社。
芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)の特徴
芭蕉庵史跡展望庭園から徒歩で約8分です。
小名木川に掛かる萬年橋の直ぐそばにあります。
名吟古池や蛙飛びこむ水の音の本拠地です。
芭蕉庵史跡展望庭園付近にある稲荷神社で、清澄白河駅A1出口からは徒歩にして7〜8分程度の距離である。大正6年の台風による高潮の後この場所より松尾芭蕉が愛蔵していたとされる石蛙が出土した事でこの地を芭蕉翁古池の跡とし、稲荷神をお祀りしたのが芭蕉稲荷神社である。
小名木川にかかる萬年橋を渡って直ぐの場所です。松尾芭蕉が住んでいた芭蕉案があった場所に創建された神社で、この場所で「古池や蛙飛びこむ水の音」の句も詠まれています。芭蕉の死後、大名屋敷の一部として残されていましたが、幕末から明治にかけて一旦は失われました。ところが、大正の頃に台風による高波がこの辺りを襲った後に、芭蕉遺愛の石蛙が見つかり、その石蛙をご神体に神社が創建されています。また、ご神体の石蛙は、そぐ近くの芭蕉記念館に展示されています。けっこう可愛い顔をしています。
松尾芭蕉は、1680(延宝8)年に現・文京区関口から当地に居を移しました。第一次芭蕉庵は天和の大火(お七火事)で焼失し、その後第二次庵がほぼ同じ場所に、第三次庵は旧庵の近辺に建てられました。芭蕉は大阪で病没するまでここを本拠とし、1686(貞享3)年に第二次庵で「古池や蛙飛びこむ水の音」を詠みました。芭蕉の死後、1697(元禄10)年に庵のあった一帯は信濃国飯山藩・松平遠江守忠喬の下屋敷に取り込まれ、芭蕉庵は旧蹟として残されていましたが、幕末から明治にかけて消失しました。1917(大正6)年、台風による高潮がこの付近を襲った際、芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が発見され、ここに石蛙を御神体として稲荷を祀り当社が創建されました。石蛙は現在、近くの芭蕉記念館に展示されています。芭蕉が生きていた頃は、このあたりも今とは違うのどかな風景だったんでしようねえ。芭蕉記念館、芭蕉史跡展望庭園とセットで訪ねると楽しいですよ。
松尾芭蕉のゆかりのある稲荷神社。
松尾芭蕉の旧居、芭蕉庵跡に建つ稲荷社。有名な、古池や蛙飛びこむ水の音…はこの芭蕉庵で詠んだ句。芭蕉亡き後、武家屋敷の敷地に取り込まれ、蛙が飛び込んだ古池どころか松尾芭蕉が住んでいたという痕跡は、太平洋戦争の空襲もあり現在に至るまで全く残されていない。ただ、大正期に津波の被害に遭い、その時に地中から芭蕉の愛した蛙の石像は出てきたんだそうな。
小名木川に架かる萬年橋界隈は、芭蕉が江戸日本橋から移り住んだ地で、芭蕉にまつわる記念館や史跡、展望台などの施設が数多くある。芭蕉展望台下の閑静な住宅地に佇む赤い鳥居のお稲荷さん…大正6年の地震と津波の折、芭蕉『遺愛の石の蛙』が出土したと伝えられるのがこの地で、その後、地元の人たちによって、このお稲荷さんが創建されたのです。小さな神社ですが、休日には近くの史跡と合わせて訪れる芭蕉ファンも多いようです。芭蕉がこの地に来て340年、時を越えて芭蕉の句は、いまなお色あせることなく、人々の心に蘇ってきます。…古池や蛙飛び込む水の音…神社から出てくると、前を通りかかった奧さんから「ごくろうさまでした。」と声をかけられて、心に熱いモノを感じた。これが下町人情というのだろぅか…。
創建年は大正6年 1917年に起こった津波以後。津波後に松尾芭蕉が愛した石造りの蛙が発見され、地域住民が動き創建されたと言われている。小名木川に架かる万年橋の北側にあり、橋を渡ると見えてくる。小さな神社ではあるが、土日は参拝している人の姿をよく見る。
お寺、神社は、⑤(;^_^Aですよっ(´▽`)ノ。
民家の一角にあるような 小さなお稲荷様。
名前 |
芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3647-9111 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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江東区街歩きの際に訪れました。色褪せた幟がたくさん掲げてあり遠くからでも目立っていました。芭蕉庵跡の石碑が歴史を感じさせる重厚さです。