平賀源内の業績を刻む、読売江東ビルの石碑。
平賀源内電気実験の地の特徴
平賀源内が長崎で入手したエレキテルを復元した地です。
読売江東ビルの一角にある石碑が目印となっています。
清洲橋東詰め南側の道路沿いで訪問が容易です。
石碑があるだけです。
石碑が建っているだけのちょっと寂しいランドマーク隅田川テラスから逸れても見に行くものでもないかな…
平賀源内と言えば発明家。いろいろな物を作られたが展示してないのが残念。
現在は読売新聞の江東工場の敷地の一部となっています。通り沿いに石碑が建っています。遥か昔から此処に文化の礎が江戸から現在迄続いているようです。 付近一帯には時代小説にも出てくる橋等が点在しており、江戸の昔を偲び散策するのも良いと思います。
源内は自宅前の大川端で釣りをしていた。そこに掛かったのは大ウナギ。これは大漁と勇んで口に掛かった針を外そうとすると、その瞬間身体に雷が落ちたかのような衝撃が走ったのである。これは面白いと家に持ち帰り、手を入れる穴のついた箱の中に忍ばせては皆にビリビリを楽しませた。俗に言うエレキテルの誕生であった。ちなみにその後、疲れて放電しなくなった鰻を捌いて食べた日が、たまたま土用の丑の日であったのはあまり知られていない事実である。(民明書房刊『江戸の知られざる大衆文化秘史』より)
清洲橋東詰め南側の道路沿いにあります。~碑文~源内は享保十三年高松藩小吏の家に生れ和洋の学を勉学し物産館の開設、毛織物の試作、源内焼の製陶、石綿布の創作利用、水準器寒暖計の創作等かず かずの発明工夫をなし神霊矢口渡の戯作者でもある。源内はわが国最初の電気学者にて安永五年エレキテルを完成し、この付近深川清住町現在の清澄一 丁目私宅にて電気実験を行い同八年五十一歳で没した。この由来を刻んだ碑がこの地にあります。
ゐれきせゑりていと ≒ エレキテル(電気、電流)という言葉は、ラテン語(オランダ語)のelektriciteitを語源として発音表記された単語です。平賀源内は、故障していたオランダ製の静電気発生装置(摩擦起電器)を復元し、ハンドルを回して静電気を発生させ、蓄電瓶に融通する仕組みを実験していました。が、当時は電気自体の概念、あるいは発電や蓄電自体の技術要素や原理については知る由もなかったと思われます。
石碑が立っています⊂(・ε・`)ノシ.:∴道の向かい側は、ホテルや、ブルワリー。ビール飲むのもよし。
発明家、電気学者、作家、偉人、平賀源内を称える言葉は数多く。ここにあった邸宅でエレキテルを修復き公開しました。現在は読売グループのビルがあり、当時の面影は何もありません。
名前 |
平賀源内電気実験の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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読売江東ビルの一角に、ぽつんと存在する石碑のみではあるが、ここは平賀源内が長崎で入手したエレキテルを復元し、実験した地である事を示している。車や自転車だと、石碑側を見ていても気づかず、スーッと通り過ぎてしまうレベルで目立たないが、かつてここで何があったか、現代人に伝えてくれる貴重なものだと思う。