八芳園横の小ぢんまり神社。
古地老稲荷神社の特徴
八芳園の入口左側にある、歴史ある古地老稲荷神社です。
狭い境内に並ぶ朱塗り鳥居が印象的な神社です。
都会の中にひっそりと鎮座する、可愛らしい稲荷神社です。
桑原坂の坂上、八芳園の隣にある東京らしい小ぢんまりとした神社。創建は文政13年(1830年)に日吉坂に鎮座され、大正4年(1915年)現在地に遷座してきたという。祭神は宇迦魂之命である。東京神社あるあるで火伏せの神としての祀られているようだ。名前の由来は現地看板やネットを見る限りは分からなかった。「こぢろう」と読むようで、あまり地名由来っぽくはなく、人名由来のように思われる。敷地は狭いが、木々が生い茂り手入れもされているので、雰囲気の良い神社である。
古地老稲荷神社(こじろういなり)文政13(1830)年創建。御祭神 宇迦魂之命小ぢんまりとした稲荷社で、キレイに維持管理されている。
八芳園手前にある稲荷神社。朱色の鳥居がだんだんと狭くなっていきます。江戸時代に火事を防ぐために祀られたようです。
神社の歴史としては明和9年(1772年)、目黒行人坂の大円寺の火災によって、近所の人々の不安を取り除くために、文政12年(1829年)、古地郎稲荷が日吉坂上に置かれたそうです。このお稲荷様が、関東大震災でも周辺を燃やすことなく食い止めたということで、「火伏せ稲荷さま」として祀られているそうです。八芳園の傍にあるので、てっきり関連ある神社と思っていました♪
元は小女郎稲荷といい、これが転じて古地老稲荷となったという。また、里人に「人丸様」と俗称された様である。「人丸」とは、歌人柿本人麻呂の「人麻呂(ヒトマロ、ヒトマル)」のことである。元は学問の神として信仰されていたが、「ヒトマル」と「火止まる」の発音が同じことから転じて、火防の神としても信仰される様になった。ただ、当地では柿本人麻呂を祀るわけではなく、単にウカノミタマを「人丸様」と呼んでいるに過ぎない。創建年月日は、少なくとも、文政十三年にまで遡り、日吉坂上に祀られていたが、大正四年六月に現在地への遷座が行われた様である。鎧を付けた神像があるというが、現存するかは不明。境内には、力石や手水鉢が見られる。
小さな細長い稲荷神社ですがおもむきがあり一度おまいりしてみては如何でしょうか。
八芳園入口の左側に鎮座される古地老稲荷神社(こじろういなりじんんじゃ)ですが、長らく此処に神社が在ることを知りませんでした(汗)すごく狭い境内地ながら、玉垣に囲まれた境内に社号碑、石鳥居、複数の朱塗り鳥居が並び、その先に瓦葺木造の社があります。配置は変則的ではありすが、石灯篭や狛狐が朱塗鳥居の脇に置かれるなど、整備・清掃が行き届いています。八芳園が何らかのサポートをしているのではないでしょうか?ちなみに、古地老稲荷神社は文政12年(1829)に勧請された神社で、火伏せのご利益が顕著。関東大震災や東京大空襲での被災を免れたとのことです。
八芳園の入口の左側に建っています。お狐さまの赤い前掛けと鳥居が印象的です。
八芳園入口の左側に鎮座される古地老稲荷神社(こじろういなりじんんじゃ)、狭いながらも玉垣に囲まれた境内に社号碑、石鳥居、複数の朱塗り鳥居が並び、その先に瓦葺木造の社があります。石灯篭や狛狐が朱塗鳥居の脇に置かれるなど、配置が多少変則的ですが、整備・清掃が行き届き、清々しさが感じられます。古地老稲荷神社は文政12年(1829)に勧請された神社で、火伏せのご利益が顕著。関東大震災や東京大空襲での被災を免れたとのことです。
| 名前 |
古地老稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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古地老稲荷神社(こじろういなりじんじゃ)は八芳園入口の横にある小さな神社です。創建は文政12年(1829年)で、歴史によれば、「明和9年(1772年)、目黒行人坂の大円寺より出火した火災により周辺一帯が大きな被害を受け人々の心理に不安感を植え付け、これを宗教的な解決策で解消する試みが提案された。文政12年(1829年)、本神社の前身である古地郎稲荷が日吉坂上に設置される。設置後は周辺地域に火事が起こらなくなるという偶然が起こり、これが同神社の霊験として住民に理解されるようになり、その後火伏せの稲荷として見なされるようになった」とのことです。撮影2024-12-04