歴史が息づく明治学院の礼拝堂。
明治学院礼拝堂の特徴
大正5年に建てられた歴史ある礼拝堂です。
明治学院大学生の心の拠り所として親しまれています。
結婚式も執り行える文化遺産のチャペルです。
明治学院礼拝堂〔チャペル〕一昨日、白金祭に参加してきました。本施設は米国の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリーズの設計により1916年(大正5年)に建設。関東大震災で被害を受け、補強工事を行った後、空襲の戦火を免れ、「明治学院のキリスト教主義を象徴する場所として完成当初から同じ場所に立ち続けている」ものです。1989年(平成元年)港区指定有形文化財、2002年(平成14年)「特に景観上重要な歴史的建造物等」に指定されています。パイプオルガンも素晴らしく、厳かな雰囲気が感じられ感動いたしました。(2025年11月1日訪問)
大正5年(1916年)に竣工した礼拝堂で、設計は日本で数多くの教会建築を手掛けたW.M.ヴォーリズ(1880-1964)。
チャペル明学卒業から51年目に、妻と二人で、まともに校内に入った。入り方は、守衛室で来館名簿に記入し、帰りに時間を記載するシステムだった。51年前と同じ建物はチャペル、多分本館?、歴史資料館(昔は同窓会事務局)10号館(昔はベールシバの食堂)の4棟しかなかった。昔の食堂の地下にあった少し恐ろしかった部活の部屋が茶色の綺麗な図書館の建物に建て替わっていた。明学はよほど金があるのかなとも考えてしまった。思い出さないが明学高校は毎日チャペルで「讃美歌 頌栄」を歌わされていたのは週一だったかはっきりしない。頌栄何番かは忘れた。覚えているのは「あめつちこぞりて」だったような。「うるわしの白百合」は授業できかされ、気に入って自分でピアノで弾いていたら、母から葬式の歌だからやめなさいの注意を受けていたことを思い出した。本館とチャペルの間には運動場があったが今は不思議な宇宙船のような建物が二つ陣取っていた。デートコースを目黒まで歩いてみたが、不思議なことに白金小学校、医科研と自然教育園は以前のままだった。途中「いなげや」と「ドンキ」を見学してみた。
設計者のヴォーリズ自身が結婚式を挙げた礼拝堂は大正5年(1916)に竣工した名建築です。
明治学院大学生の心の拠り所である礼拝堂。
質実剛健と言った趣の礼拝堂・チャペル。プロテスタント教会であり、華美な装飾がなく閑かな雰囲気です。
とても雰囲気のあるチャペルでした。パイプオルガンも含め、一見の価値ありと思う。
平日13時から20分間チャペルアワー。
大正5年に建てられた礼拝堂です。日本で多くの教会や病院、学校を手がけたアメリカ人建築家W・M・ヴォーリズがそれまであった礼拝堂の建て替えのために設計しました。再建前の礼拝堂は石造りでしたが、度重なる地震による破損で危険な状態になっていたのです。部材を一部再利用して造られた建物は、関東大震災をきっかけに耐震補強がほどこされました。それが壁を横から支えるコンクリート製のバットレスです。簡素ながら柔らかな温もりを感じさせるエントランスです。広い礼拝堂を支えるのはハサミのように交差するシザートラス、小屋組みをそのまま意匠として表現したヴォーリズの教会建築の典型ともいえるダイナミックな空間です。教会内のパイプオルガンはバルク式の古いタイプのオルガンです。2009年に新設されたパイプオルガンは約12年かけてオランダで造られました。パイプオルガンの製作の黄金時代である17~18世紀の工法を再現して用いた20世紀以降の製造としては世界で4台目。日本で最初のオルガンです。奏者の姿はオルガンのパイプに阻まれ、礼拝堂の会衆には見えません。ここでは礼拝や入学式、卒業式のほかに卒業生の結婚式も行われています。W・M・ヴォーリズも大正8年に自身が設計したこの礼拝堂で挙式しました。ヴォーリズは38歳、伴侶に選んだのは子爵令嬢の一柳満喜子でした。2020.03/14記。
| 名前 |
明治学院礼拝堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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孫と参加した高校生のクリスマス礼拝は、英語でのメッセージとパイプオルガン、賛美は思い出に残る時となりました。