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名前 |
砂川用水 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
砂川用水の歴史は砂川分水に遡ります。現立川の砂川村は、江戸初期の「砂川新田」を発祥としていました。徳川家康の江戸入府後、「江戸城」の改修や町の拡大のため、木材・炭などを運ぶ「五日市街道」が整備されました。「砂川新田」は、1627(寛永4)年、その「五日市街道」と「残堀川」が交差していたあたりから開発が進められたといいます。砂川とは「残堀川」のことで、水量が少なく「砂の川」に見えたためともいわれています。新田開発において水の供給は急務でした。その後「玉川上水」が整備され、1657(明暦3)年に「五日市街道」に並行して「砂川分水」が作られると、「砂川新田」の開発も本格化、短冊状の地割となりました。その後玉川上水南岸には10の分水が開削されます。明治3年、玉川上水に通船することになり、砂川分水を五日市街道沿いに延伸してそこから10の分水に配水することになり、砂川用水となりました。今ではこの地まで水が来ることは無くなりました。