住宅街に潜む吉橋城址の魅力。
吉橋城址の特徴
主郭の土塁がしっかり残っていて、歴史を感じます。
二の丸は貞福寺となっており、独特の雰囲気があります。
本丸はゲートボール場になっていて、地域の交流に活用されています。
【城探究】◉城址 吉橋城 📍千葉県八千代市戦国時代、高木(高城)伊勢胤貞の居城として、天文年間に北条氏との合戦で落城されたとされる「吉橋城址」を探究しました。12時49に探究で殆ど人を見かけることは無く、ゆったりと探究する事が出来ました。☆分類・構造平山城☆築🏯主吉橋胤俊☆築🏯年鎌倉時代?☆廃城年1536年(天分5年)1537年(天分6年) 諸説あり☆沿革この吉橋の地は鎌倉から室町時代にかけて千葉介(千葉宗家)が支配した地域でした。戦国時代に入り吉橋丹後守胤俊(千葉一族)が築🏯し吉橋・桑納・桑橋・麦丸・船橋市鈴身町・金堀・西向に、かけて広い地域を支配しました。標高22m程高い吉橋台地上にあり、貞福寺がある場所が二郭とされており、北側にある道路(堀切)向かいある台地(ゲートボール場)が主郭とされています。☆愛宕山 地蔵院 貞福寺1394年(応永元年)に現在の地より東側に創建、吉橋城が落城した後、家臣達が土着して現在の地に移される。初代住職は吉橋城最後の殿様の嫡男であり、その後も高城家が住職を歴任しています。☆吉橋城落城悲話北条軍が関東一円の城を次から次へと攻めていた戦国時代。この地には元旦に家の主が雑煮を振る舞う習慣があった。1536年(天分5年)の元旦、この年も城主は雑煮の準備を始める。早朝、家来に松明をもたせ、井戸に水を汲みに向かった。松明の灯りを見つけたのは敵方の北条軍。灯りを目印に一斉攻撃にあいあえなく、吉橋城は落城となった。🍙貞福寺HP参照◉感想千葉県道61号船橋印西線から入った場所にある貞福寺を目指すように行く事をお勧めします。最寄りの駅からはだいぶ距離があるのでバス🚍️を利用するか車🚘️となりますが目的地近くにはコインパーキング等はありません。貞福寺周りは二郭となっており、境内には比較的大きな土塁があり、吉橋組大師講二十番札所付近には櫓台らしき物も確認出来ます。貞福寺周辺をぐるりと散歩しながら遺構を探せば所々に遺構が現存されています。貞福寺北側の道は左右を土壁に囲まれており、この状況から連郭式の主郭と二郭間にある堀切かと思われます。途中に主郭に入る通路があり、虎口だという説がありますが単に主郭に入る為に削られた通路のような気がします。主郭部は周りをほぼぐるりと土塁に囲まれており、通路左手の木々の中に吉橋城址の石碑があります。吉橋城に関する内容は伝記による事が多く、正確な資料等は少ないです。しかし、興味がそそられる伝記はいくつかあり調べた所、中々興味深い内容を確認する事が事が出来たので勉強になりました!ありがとうございました。◉所在地千葉県八千代市吉橋804🍙愛宕山 地蔵院 昌福寺◉アクセス🚊東葉高速鉄道東葉高速線/八千代緑が丘駅出口2から2.5Km、徒歩38分位。🚊東葉高速鉄道東葉高速線/八千代緑が丘駅から🚍️ちばレインボーバス神埼線に乗り「寺台」バス停下車徒歩7分位。
何も無いですが雰囲気が伝わってきました。
主郭の土塁がよく残っています。
良く見ると遺構が沢山残っています。
二の丸は貞福寺になっていて、本丸はゲートボール場にになっています。 櫓の跡や、空堀、 土塁などの遺構が多く、いかにも戦国という雰囲気の城です。
| 名前 |
吉橋城址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
住宅街の細い路地を10メートルくらい登ると右側に石碑と土塁が見られる。駐車スペースなどない。