小さな八幡様で心温まる。
小さな小さな八幡様。昔はちょっとした大きさの境内を備えていて、休憩できるベンチや立派な御神木がありました。水戸橋の架替工事に従って現在の小さな祠になりましたが、元は歴史あるお社です。(御神木の一部分は小菅1-10-7「太平不動産」の古い材木置場に長らく置かれていましたが最近撤去されたようです)↓以下、掲示案内コピペ↓小菅の水戸橋付近、綾瀬川沿いに「八幡社」と大きなタブの木がありました。昭和三十年代に作られた「小菅音頭」の歌詞の中にも「月もおぼろの八幡やしろ」と歌われています。この社と大きなタブの木は、綾瀬川のふちに在って舟の往来や行き交う人々を見守ってきました。由緒などは不明ですが「水戸佐倉道分間延絵図(みとさくらみちぶんげんのべえず)に記載されている古い社で、棟札により元禄十三年辰年(一七〇〇)五月三日第五代将軍徳川綱吉に仕えた柳沢吉保によって、小菅御囲内の鎮守として再興されました。第八代将軍徳川吉宗の時代(一七四〇年頃)の小菅御殿古図には「ハマン」と記載され、鳥居の図がしめされています。このあたりは、「八幡山」と呼ばれ、小菅一丁目では一番の高台でした。綾瀬川・古隅田川に囲まれた小菅付近は昔からたびたび洪水に見舞われてきましたが、昭和以降の大水害にも水に浸ることはなかったと言われています。小菅一丁目に大きな被害をもたらした昭和三十四年九月の伊勢湾台風の際にも八幡社に多くの人々が避難したと伝えられています。大切に守ってきたこの社は、今般水戸橋の架け替えに伴い、旧社殿は取り壊され新しい石造の社として再建されることになりました。平成二十二年七月吉日小菅八幡社。
名前 |
小菅八幡社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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パッと見、屋敷神に見えるほどで社と灯籠があるだけですが、昭和30年頃に作られた『小菅音頭』の歌詞の中に『月もおぼろの八幡やしろ』と歌われていると言います。小菅音頭を知りませんが😱大きな椨があったようです。現在は不明。わざわざ行く場所ではありません。