東航通りの歴史を感じる場所。
東航正門跡(東京陸軍少年飛行兵学校 正門跡)の特徴
昭和十三年に開校された東京陸軍航空学校の正門跡です。
陸軍少年飛行兵が青春を捧げた歴史的な地です。
戦時中の記憶を伝える石碑が設置されています。
「東航通り」の北端、東京陸軍航空学校正門があった場所。この先一帯に約64万平方mの広大な敷地の学校があった。1937年(昭和12年)に熊谷の陸軍飛行学校に仮設されていたものが1938年にここに移転したもの。高等小学校卒の14-17歳が一年間ここで学んだ後、分野ごとに分かれ熊谷や宇都宮の上級学校(二年制)に進み、卒業後各飛行部隊配属となった。石碑裏には、陸軍少年飛行兵第6-20期生の28000名が学んだ地とある。当時の航空写真では正門付近は菱形の広場となっているが、現在のこの交差点にもその菱形の北側半分が残っている。ここから北約200mの場所には、慰霊碑跡がある。碑は北西約4.5kmの禅昌寺に「少飛の塔」として移された。少年飛行兵制度下の1-20期の卒業生は46000名、うち戦死は約4500名。戦死者の中で約450名は、特別攻撃によるものとされている。
サイクリング中に通りかかって、ここに兵学校があったことを初めて知りました。卒業された飛行士の多くが戦死されたとのこと。今の日本の平和は皆さんのおかげです。感謝です。
昭和十三年九月 東京陸軍航空学校(のち東京陸軍少年飛行兵学校)が開校されこの地が正門跡地である陸軍航空の中核として活躍した陸軍少年飛行兵第六期生から第二十期生まで二万八千名が誠忠の志高く青春の総てを捧げ祖国の安泰と繁栄を念じて日夜心身を錬磨した地であると書かれています。
昭和十三年九月 東京陸軍航空学校(のち東京陸軍少年飛行兵学校)が開校されこの地が正門跡地である陸軍航空の中核として活躍した陸軍少年飛行兵第六期生から第二十期生まで二万八千名が誠忠の志高く青春の総てを捧げ祖国の安泰と繁栄を念じて日夜心身を錬磨した地であると書かれています。
戦時中の記憶をなんとか後世に伝えようとする石碑です。かつて一帯には東京陸軍航空学校が存在しました。陸軍の飛行士育成促進のために満14か17歳の少年が集まり、ここで基礎教育を受けた後に適性から操縦・通信・偵察に別れて上位学校へと振り分けられました。卒業生はおよそ28,000名と伝えられます。石碑の前の通りは「東航通り」。バスでやって来た生徒たちは砂川三番付近のバス停で降りたため、そこから正門までの道が整備されました。
近隣が昔から空の基地に縁がある場所だと教えてくれる記念碑。掲示されている案内板には、少年飛行隊や学校に関する詳しい情報の記述はない。
| 名前 |
東航正門跡(東京陸軍少年飛行兵学校 正門跡) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
042-560-6620 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.musashimurayama.lg.jp/kankou/spots/rekishiminzoku/1001940.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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こちらも戦争当時の少年飛行兵学校(東航)の跡地となります⭐こちらの史跡はT字路の脇の植え込みの一角にあります。