神田のやっちゃば、昔懐かしの味。
志村一里塚(北塚)の特徴
中山道に位置する一対の一里塚が印象的です。
石垣で囲まれた歴史深い史跡で、散策に最適です。
曽祖父の農家の話が残る地域の貴重な文化財です。
二対で存在する一里塚の北側です。もともと志村一里塚は中山道からやや離れた位置に築かれていたため、道路拡幅工事によって移動したり、削ったりはしていない、非常に価値の高い貴重な遺構です。まさか、都内に現存する一里塚があるとは驚愕の事実でした。これからも末長く残って欲しいものですね。
中山道の両側に石垣で囲まれた一対の塚があります。徳川家康が街道整備のために、慶長九年(1604)に命じて諸国に造らせた一里塚の一つ「志村一里塚」です。現存する一里塚は全国的に珍しく、都内では2か所しか残されておらず、志村一里塚は大正十一年(1922)に国史跡に指定されています。道路面から盛り上がった塚には枝葉を伸ばした常緑樹や綺麗に刈り込まれた植え込みがあります。江戸時代に一里塚で休息する旅人に木陰を提供したであろう木々、今はコンクリート製商業ビルが並ぶ乾いた空間に緑の潤いを与えています。貴重な一里塚です。
名前 |
志村一里塚(北塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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わたくしの曽祖父は農家で、川口市芝から毎朝、収穫物を大八車に乗せ神田のやっちゃばへ運んでいたそうです。大正から昭和にかけての志村坂は、日没後は今よりもずっと暗く、時にはおいはぎが出たそうで、家族みな曽祖父を案じていたそうですが、そのお話を聞いてひいじいさんすごいなと思ったのは、川口市芝から今の神田須田町にあった青果市場まで片道5時間、往復10時間、この志村坂を野菜満載の大八車で毎日、「人力」で上り下りしていたことです。昔の人の底力は想像をはるかに超えてきますね。なので、志村の一里塚を通りすがるたび、このひいじいさんの逸話を思い出すのでございます。